何かを起こす雰囲気を醸し出すようになってる
8月3日、マツダスタジアムでの阪神戦で代走の野間峻祥が見せた走塁は稲妻のようだった。3-5と2点差に追い上げていた九回、1死一・三塁から西川がセンター右へヒットを打つや、一走の野間が三塁を回って一気に同点のホームイン。
「ぼくが腕を回そうかと思う前に、野間が目の前まで来ていました。わっ、もうここまで来たか、と。彼は確実に速くなった。何かを起こす雰囲気を醸し出すようになってる」
その野間と鈴木はとても仲がよく、河田がカラオケを歌うときは、ふたりでバックダンサーを務めたりしている。16年、CS(クライマックスシリーズ)を控えてマツダスタジアムのパーティールームで行われた決起集会でのこと。河田がテーブルに立ち上がると、マイク代わりにコーラのペットボトルを握り、サザンオールスターズの名曲「涙のキッス」をアカペラで熱唱。その背後で、鈴木と野間が華麗な? ダンスを披露していた。
チームのみんなが拍手喝采した〝河田オンステージ〟を、打撃コーチの石井琢朗はしっかりスマホで動画に撮っていた。彼の描いた河田や野間らカープの仲間の似顔絵も、LINEスタンプとして発売されている。
私が河田と飲みに行くようになったのは、彼がプロ7年目で一軍に定着した1992年だった。昔の広島市民球場での巨人戦で、北別府学の198勝目を消す痛恨のミスをしたその夜に痛飲。その翌日、山本浩二監督に7番・レフトで初のスタメンに抜擢され、見事に2安打して期待に応えた姿が忘れがたい。
ちょうどその年、橫浜にいた石井は、プロ4年目で投手から内野手へコンバート。登録名を本名の忠徳から琢朗に変えて心機一転、2432安打へのスタートを切ったばかりだった。石井と河田にとって節目となった92年から25年、ふたりが支えるカープが新たな黄金時代を迎えようとしている。
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