1つは、尖閣諸島をめぐって「領土問題は存在しない」を大原則とする日本政府に対し、中国政府はその巧妙なプロパガンダ戦略によって国際社会向けに日中間に領土問題が存在しているとの印象を与えることに成功した。温家宝首相が国連総会の場で領土問題への断固たる姿勢を誇示したのは、この観点からとらえる必要がある。
32年前もあった“武装”漁船を使った海洋戦略
もう1つは漁船の不透明な実態に関わるものだ。実は、尖閣諸島に中国の多数の漁船が現れ、日中関係を悪化させる事態は今回が初めてではない。今から32年前の1978年4月12日未明。日中平和友好条約締結交渉が進む中、尖閣諸島周辺に約200隻の中国漁船が集まり、そのうち数十隻が領海侵犯を続けたのだ。日本側は抗議したが、中国政府は今回と同様、自国の領海内の行動だと反論を強める。
当時、外務省中国課で尖閣問題担当だった故・杉本信行元上海総領事は著書『大地の咆哮』でこう回顧している。「海上保安庁の巡視船や飛行機が中国側の無線を傍受したところ、約200隻の漁船に対して2カ所から指示が出ていたことが判明した。1つは山東省煙台にある人民解放軍の海軍基地、あと1つは福建省廈門の軍港で、その2カ所から漁船はコントロールされていたのだ」
さらに「漁船200隻といっても、実際には軽機関銃で武装しており、ある意味で民兵組織に属していたことが海上保安庁からの報告でわかっている」と指摘している。
日本との条約締結交渉は当時、鄧小平副首相が積極的に推進していたが、中国内部では尖閣諸島の領有権を譲らず、交渉に反対する保守勢力も存在したという。しかしこの際、鄧小平は「(尖閣問題は)数年、数十年、百年でも脇に置いておいて良い」と日本側に強調、今の中国指導者にはない絶対的政治力で保守派を排除した。
大量の漁船を利用して周辺国の領海にどんどん浸食していく、という手法は一貫している。そして今や中国政府の派遣した漁業監視船が目を光らせて漁船を守るとともに海上保安庁の巡視船などへのけん制を強める。日本をはじめ周辺諸国が知らない間に中国の「支配海域」が広がるという「既成事実化」戦略が進行しているのだ。
覇権国家のイメージを嫌う胡錦濤指導部
しかし今回の尖閣問題に関する強硬な対応は、中国にとって「両刃の剣」である。尖閣衝突が起こる直前、中国人民解放軍の現役幹部は筆者にこう明かした。
「軍というのは、仮想敵をつくり出し、目標をもって行動するものだが、日本は中国を過剰に見ている。日本は、中国を無理やり敵にしようとしている。特に防衛省はその傾向が強い」
この幹部は、日本で2004年以来となる新たな「防衛計画の大綱」策定に向けた議論が進む中、中国の軍拡路線がどう盛り込まれるか注視している。
中国では「外交勝利」と浮かれる声が相次ぐが、そうとも言えない。「覇権国家」のイメージを周辺諸国に与えることは、「責任ある大国」を標榜する胡錦濤指導部が嫌悪する「中国脅威論」の高まりを助長することになり、国内経済建設にも影響を与える。そうした懸念を背景に、中国内部では「対外強硬派」に対し「発展優先派」「国際協調派」が巻き返しに出ている。