神が苦悩しているので、仏の力を借りたい。そんな神託が、神宮寺を成立させた。それは神と仏の習合思想の、ひとつの典型的なかたちなのだろう。
「大和に廃仏毀釈はなかった」とする西山史観。北川住職は応えて曰く、「お寺は徳川幕府の行政の末端組織だったので、明治政府になると、それをひっくり返さなければ意向が隅々にまでいきわたらない。だからお寺が邪魔になったと、わたしはそう解釈しておるんですが」。
「徳川幕府は広い土地を与えてお寺を手厚く保護しました。明治政府は過保護をやめた。お寺が経済的に苦しくなったのは事実で、廃寺になったお寺も少なくありませんが、それは〈廃仏〉ではない。神社も激減しています。神社の統廃合や祭神の入れ替えなどが全国的におこなわれました」
「統一しようとしたのは、そりゃひどいと思いますね」
「神さまの世界にも、すごく手を入れているわけですよ」
庫裏での談義は尽きないけれど、そろそろ長岳寺をおいとまして、古道をさらに南下していくことに。
維新政府による神仏分離は愚策だったが、神も仏も等しく大切にする和合の精神まで、断ち切ることはできなかった。大和の古道をたどれば、それを自明のこととして感じられるのだ。
〈山の辺の道〉の、そぞろ歩きはたのしい。ときにのどかな田園をわたり、ときに鬱蒼とした杉林をぬける。ひっそりと佇む環濠集落、古墳の森、果樹の畑……。ほんの少しの濃淡や高低や明暗が、じつにあざやかな輪郭をつむぎだしている。
そして大和の山々が、道行く者を見守ってくれている。耳成山〔みみなしやま〕・畝傍山〔うねびやま〕・天香具山〔あまのかぐやま〕の大和三山、大神〔おおみわ〕神社のご神体とされる三輪山、そして遠方には双峰の二上山──。
「大和の山々には人格を感じますね。だからそこにいろんな神話が生まれてきて当たり前、そんな気がする。ほら、あそこに二上山。ほんとに素晴らしいながめです。古代人が聖なる場所と崇めたのも当然ですよね」