「奈良時代には、各地の神さまが神であることを苦しいと言い始めます。もちろん神さま自身ではなく、神官が言うわけですが、これからは仏教だという時代認識があるわけです。神仏分離の場合と逆ですね」
シンプルになれる場所
残念ながら、西山さんとはここでお別れ。道中ご教示いただいた西山史観をたずさえ、わたしたちは〈山の辺の道〉に戻り、大神神社へ向かう。
ここは石上神宮とともに日本最古の神社とされ、本殿をもたず、拝殿の奥の三ツ鳥居から三輪山を拝するという、原初の信仰のかたちをとどめたスポットなのだ。
別れぎわ、西山さんは言っていた。 「石上と大神──どちらもちょっと普通じゃないですよね。不思議な力に満たされた、まさに聖地です。古代人はその本質を感じ取っていたのです」
神の鎮まる山を〈神奈備〔かんなび〕〉というが、大物主大神〔おおものぬしのおおかみ〕が鎮座まします三輪山(467メートル)のふもとの〈神仏域〉は、結界の、そこからこぼれだすおだやかな調べにみちている。この調べにときほぐされ、どんどんとゼロに近づいていくようで、とても心地よい。
〈神仏域〉には、大神神社を核として、狭井〔さい〕神社、久延彦〔くえひこ〕神社、檜原〔ひばら〕神社、若宮、平等寺〔びょうどうじ〕などが点在する。
平等寺の住職・丸子孝法〔まるここうほう〕さんは、16年間托鉢に歩き、その寄進で本堂を再建したという方だ。 「もともと三輪明神の神宮寺でしたが、神仏判然令ののちにつぶれてしまうんです。大神神社と平等寺とはもともと一体。わたしの先祖も三輪族ですから、神仏習合について少しの違和感も覚えませんね」
さて、狭井神社の薬井戸の霊水でのどを潤したら、大美和〔おおみわ〕の杜〔もり〕展望台に登ってみよう。見はるかす大和盆地と大和三山。眼下に大神神社の大鳥居が、ひときわ異彩を放っている。