神仏が共存する隠国
〈山の辺の道〉から東へ折れ、初瀬〔はせ〕川に沿って山間に分け入れば、長谷寺〔はせでら〕に行き着く。
下:御足元から見上げると、十一面観音から圧倒的な力を感じ、平伏せずにはいられない。「大きいことには意味がある」と西山さん
長谷寺は神と仏が多角的に習合している寺院の典型で、一大観音霊場であり、真言宗豊山〔ぶざん〕派の総本山。三方をとり囲む山の緑は深く、清冽で豊かな水が流れるこの地は隠国〔こもりく〕という枕詞となり、いくども歌に詠まれてきた。
開基は道明上人〔どうみょうしょうにん〕。天武天皇の福寿を祈り、「銅板法華説相図」(国宝)をこしらえ、それを安置したのがはじまり。朱鳥〔あかみとり〕元(686)年のことと伝えられている。
この寺は、草餅が名物の、なごやかな門前町をもつ。仁王門から本堂へは、三つに折れ曲がった、切妻造〔きりづまづくり〕の登廊〔のぼりろう〕の低い石段(399段)をせっせと踏みたどる。初瀬山中腹の懸崖〔けんがい〕につくられた本堂には、正堂と礼堂(本尊を拝する内舞台)があり、懸造〔かけづくり〕の外舞台が中空にせり出している。
礼堂から本尊の十一面観音を拝み、そして御足元へと案内していただいた。見あげる御身の丈は10メートル余。そっと触れた大きな足指の質感は、なんとも頼もしい。
いくども焼失し、そのたびに全国の講の、あるいは観音さまの熱狂的ファンの寄進によってよみがえった。現在の御像は天文〔てんぶん〕7(1538)年に造立されたものだという。 「長谷寺のご本尊は、霊木を用いて造立された。木に対する信仰と観音さまへの信仰が合体しているのが魅力です」
本尊は右手に念珠と錫杖〔しゃくじょう〕、左手に水瓶〔すいびょう〕をもち、すぐにでも、どこへでもおいでになりそうなすがたには、不屈の慈愛がみちみちている。
この十一面観音に向かって左脇侍の雨宝童子〔うほうどうじ〕は天照大神〔あまてらすおおみかみ〕の、右脇侍の難陀龍王〔なんだりゅうおう〕は春日明神の本地(注1)という信仰が、古くから伝えられているそうだ。長谷寺は幾柱もの神を祀る社をもち、たくさんの謎にみちている。
御足元の暗がりから、やわらかな光が降り注ぐ外舞台へ出れば、眼前に広がる天然の景観が目を奪う。慣用句に〈清水の舞台から飛び降りる〉とあるけれど、大和の人は〈長谷の舞台から〉と言うのだそうだ。
「ここはまさに隠国の地。昔はたいへんな思いをしてたどり着き、観音さまに出会って、そりゃもう感動で打ち震えたのだと思いますよ。まさに聖地です」
そういえば、登廊の上り口の柱には、右に「諸佛経行砌〔しょぶつきょうぎょうしょ〕」、左に「諸天神祇在〔しょてんじんぎざい〕」の文字があった。ここでは仏と神がともに、衆生〔しゅじょう〕(注2)を迎え入れてきたのだ。
(注2)衆生:生きとし生けるもの。