2024年12月23日(月)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年10月8日

 前回の原稿で私は、漁船の船長を釈放したことは「結果オーライだった」と書いた。戦略なき対立の中で感情任せの応酬を続けても国益にはつながらないからだ。

 だが、政治判断には犠牲が付き物で、一方では問題も残った。現場の海、東シナ海で海上警備に当たる海上保安庁の保安官たちに、大きな挫折と迷いを残したことだ。

「殴られたぐらいで逮捕するな」と指示される保安官

 日本列島の南西部海域を守る海保の第11管区は、中国や台湾が「自国領である」と主張する尖閣諸島や排他的経済水域の設定を巡り中国が大陸棚延伸論を主張して係争の続く日中中間線問題など警備担当者を悩ませる複雑な問題を孕んでいる。いま、その尖閣諸島の沖には、海保の巡視船が24時間体制で張り付き警戒に当たっているが、時に政治判断も迫られる保安官たちの迷いは深い。

 そもそも領海侵犯罪がない日本では、領海に侵入した船は基本的に追い出すしかない。この事情は海上警備法が整備された現在も変わっていないが、従来なら海保の巡視船が警告すればたいていの漁船はしぶしぶ領海の外へと出ていっていた。

 だが、ここ数年は従う船ばかりではない。警告を無視する船に対しては漁業法の立ち入り検査忌避罪を適用して捕まえるのだが、そのとき「殴られたぐらいでは逮捕するな」と言われている保安官には大きなプレッシャーがかかる。やり過ぎればすぐに外交問題になりかねないからだ。そうした慎重な姿勢が、次第に中国の漁船の間で「日本の海保は甘い」との認識となって広がっていったのである。これが、今回東シナ海で起きた公務執行妨害事件の呼び水となったとも考えられるのだ。

 非常事態には現場からライブ映像を流し省庁横断で判断できるシステムを備えているとはいえ、現場が政治判断から解放されているわけではない。保安官たちは日々、明確な基準のないなか、不測の事態に対処しなければならないのだ。

漁民を抑えきれない中国政府のジレンマ

 私が昨年末に出した『平成海防論』は、この現実の危うさを警告し一刻も早い対策が必要であることを呼び掛けたものだった。そして懸念は現実となった。

 現状、日本が拘留期限を待たずに船長を釈放したことで、日中関係は緊張のピークは乗り越えたかに見える。だが、「現場の警備がますますやりにくくなった」(海保幹部)のは言うまでもない。喫緊の課題は、「もう一度中国の漁船が領海に侵入し同じような振る舞いをしたときにどうするのか」の判断だ。実際、それが起きる可能性は小さくない。

 船長が帰国して以降、中国はこの問題が再び国民の熱狂にさらされることのないように抑え込みに入った。船長は、帰国した当日こそ記者会見を許されたが、その後は主要メディアへの露出を禁じられている。

 だが、こうした措置には限界がある。漁民一人一人の行動を見張ることも不可能なら、自ら「自国領土」と公言している海に「近づくな」とは立場上言えないからだ。一方の漁民にしてみれば捕まっても損失が補填される上に補助金さえもらえるのだから動機は十分だ。さらに帰国すれば英雄扱いが待っている。


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