やっとプールで泳げるようになった時、指導してくれたコーチに言われました。「10m泳げるようになったら、後はいくらでも泳げるぞ」と。以来、基礎を身につけたら、その先は自分次第だと考えるようになりました。基礎体力ならぬ、基礎読書力とでもいうべきもの―本とは何か、本のおもしろさ―を、刷り込みのように身につけ、記憶させることができたら、後は必要を感じた時に、自分から求め、行動できると思うのですが、それでは楽観的過ぎるでしょうか?
「あたり前」ということばがあります。辞書には、「ふしぎでない、しぜんな状態。いうまでもないこと。ふつう」と説明されていました。ある人にとってはあたり前のことが、別の人には特別のこと、という場合も多々あると思いますが、親子で絵本を楽しむことは、誰に聞いても「あたり前」といわれるようになったらうれしいなぁ、と思います。必要に迫られて読むのではなく、出会い、楽しんだ絵本の数々が、いざというときに役に立った、支えられたということになったらいいなぁと思います。
大人が子どもに教えるというか、伝えなければいけないことは、たくさんありますが、「本の存在、本の役割、本の楽しさ」もそのうちの一つだと思います。でも、その方法は、いろいろあるでしょう。家庭ならでは、それぞれの親子ならではの方法で、息長く本と関わっていって欲しいと思います。今という時間、今しかできないことを楽しんで下さい。
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