「台湾にある中華民国」としては、国際政治の現状および内部の意見の分裂に苦悩しつつも、このように慎重かつしたたかな取捨選択によって、中国および国際社会との関係を調節し実利を得てきた。しかし今や、外国における日常レベルであれば中国も黙認してきた台湾という名称について、東京国際映画祭という晴れ舞台において突如中国側が「中華台北」「中国台湾」という踏み絵を迫って来たからこそ、台湾の人々は中国との関係で常に苦悩を強いられる自らの境遇を痛感せざるを得なかったものと推察される。
中国はなぜ祝祭に「核心利益」を持ち込んだのか?
しかし筆者のみるところ、文化の祝祭に突如「核心利益」を持ち込んだ中国代表団の最大の意図は、台湾代表団に直接「一つの中国」イデオロギーを再確認させることではなかった。もし迫ったところで、台湾側は上記の現状に則して肯んじないであろうことは、恐らく中国側も織り込み済みであっただろう。むしろ、YouTube等にアップロードされた台湾の関連報道、あるいは中国のニュースサイトを逐一確認してみたところ、中国代表団は実は日本側の映画祭事務局にこそ痛烈な要求をしていた。即ち、「台湾は中国の一部分」であり、国際映画祭の場でも「中国台湾」と表現するべきであるという中国側の申し入れに対し、映画祭事務局の側が具体的な対応をとらず、そのままパンフレットなどで「中国」「台湾」と表記したことについて「感情を踏みにじられたので徹底抗議し、映画祭をボイコットする」と主張したのである。
しかも彼らはその根拠として、「日本は既に日中国交回復にあたり『台湾は中国の一部分である』ことを《承認》している」と主張し、だからこそ日本側は台湾について表現する場合当然「中国台湾」と表現しなければならないのだ、という。
台湾をめぐる日本の立場
このような認識は歴史認識として根本的に正しくない。
日本は確かに、1972年に中華人民共和国政府を「中国の正統な政府」と認め、台湾にある中華民国政府とは断交した。一方、日本政府が台湾問題についてとっている立場は、1945年に台湾の施政権を放棄して以来、日本としてその帰属について発言する立場にないというものである。したがって、日本国としては「台湾が中華人民共和国の一部分である」ことを《承認》したことは一度もない。むしろ、そのように表明すること自体、中国と台湾、より厳密には中華人民共和国と「台湾にある中華民国」との間で処理されるべき問題に対する著しい介入だということになる。実際昨年には、日本が台湾に窓口機関として設置している交流協会の代表が「台湾の帰属は未定である」という認識を表明した瞬間、台湾の国民党政権と中国の双方が抗議を発し、馬英九総統の強い不満を誘った代表は辞任に追い込まれている(台湾独立派は「だからこそ我々は台湾という国号で独立しなければならない」と歓迎した)。
とはいえ、1972年に中華人民共和国と日本が国交を結んだ際には、敗戦以来の日本側の原則を踏み外さず、かつ何らかのかたちで中華人民共和国に配慮する立場を表明しなければならなかったのも確かである。一方、止むを得ず中華民国との外交関係を切り捨て、さらには中華人民共和国の主張を全面的に受け入れることで、知日派である蒋介石の面子をつぶし台湾との実質的な関係を失うわけにも行かない(台湾では当時反日強硬論が吹き荒れた)。そこで当時の日本政府は、「台湾が中華人民共和国の一部分であるという主張を理解し尊重する」という玉虫色の表現をとり、毛沢東と蒋介石双方の立場を辛うじて立てることで今日に至っている。