漢族・チベット族男女の純愛を描いた国策映画
今回の中国代表団の要求は、そのような詳しい経緯に通じていない国際映画祭事務局に突如無理難題をふりかけ、あわよくばその要求を通そうとするものであった。代表団の背後には「釣魚島問題で我々に従わない日本の文化活動を攪乱せよ」という指示があるのか、あるいは代表団の単独行動であるのか、筆者には知る由もないが、少なくとも今後日本に来る中国人の人物背景次第で、類似の事態は今後いっそう増加するとしても不思議ではない。
とくに、中国側代表団を率いる映画監督として強硬な主張をした江平という人物は、一見「国際映画祭に出品する映画を撮る芸術家」という「表の顔」を持ちながら、実は「中国電影グループ」(国営映画製作会社)副総経理であり、かつては中国国務院テレビ・映画総局の副局長を務めるなど、事実上の官僚である。そして出品作『康定情歌(チベット恋物語)』も「チベット解放60周年」に捧げる究極の国策映画であった。
この映画の舞台となった康定は、四川省の成都からラサに向かう際に最初に直面する難所・二郎山を越えたところにある、チベット高原の東の門戸である。毛沢東が朝鮮戦争の裏側でダライ・ラマ政権(今日のチベット自治区の範囲)を「解放」(実際には武力で威嚇)し、「十七条協定」を強要して中華人民共和国に従属させるにあたり、人民解放軍の大部隊がこの地を経由し、その際に解放軍人である漢族の主人公とチベット族の少女の間に恋が芽生えた、というのが物語の縁起である。この映画を紹介する中国のネット記事(http://yule.sohu.com/20100903/n274683649.shtml) には、以下のようなストーリーが紹介されている。
「事故や天災、人為的な様々な壁などが、二人を生き別れにしてしまう悲劇を生むが、堅く貞淑な愛情にかけては誰にも負けない彼らは、60年間終始独身を貫いた。それはまさに、世紀を跨いだ漢・チベット同胞のあいだのプラトニックな愛を表現しきっている」
要するに、毛沢東時代以来どのような混乱があろうとも、漢族とチベット族は同じ「中華民族」「祖国の大家庭の一員」であり、互いに深く結びつき合っているというイデオロギーを恋物語に仮託し、見る者をして自ずとチベット問題に関する中国の立場に共感させようという意図がある。しかも、主演男優=漢族解放軍人の主人公として台湾の人気男優アレック・スーを起用し、「台湾同胞」も「チベット解放60周年を祝う」体裁をとるという念の入れようである。そして、東京国際映画祭という場を通じて日本人にこのようなストーリーを見せて「共感」を呼び起こすことにより、日本国内でも中国のチベット問題をめぐる立場を広めようとしているわけである。毛沢東時代以来永きにわたって中国の芸術活動を縛ってきた「延安文芸講話路線」「社会主義リアリズム」は、どれほど中国社会が多様化してもあくまで健在なのである。
中国の「文攻」に日本はどう向き合うのか?
この監督と映画の名前自体は、ボイコットにより既に東京国際映画祭の公式HPからは消えている。それでも、彼が東京国際映画祭で引き起こした混乱、あるいは中国が日本の映画祭で見せようとしたものを捉え直してみると、本来は中国が責任を持って解決・緩和すべき少数民族問題や台湾問題について、結局彼ら自身は到底解決できないため、日本人に中国の立場をいつの間にか認めさせるという既成事実を重ねることで、対立する少数民族・台湾を追い詰めようとする構図が見えてくる。これに対して、既に少数民族や台湾の運動は日本国内に地盤を持っており、中国の大国化が決して彼らの主張通りに平和的なものではなく抑圧的な影響を強めるものであるほど、中国の「核心利益」に反して距離を置こうとする少数民族・台湾の立場に日本人の支持が集まるという傾向が強まっている。それは言わば、中国の圧力に晒された者どうしの連帯ということであろうか。そして今後も日本という舞台で、日本人の支持をどちらが得るのかという中国と台湾・「少数民族」の争奪戦が様々な場面で活発化し、それに直面した日本人が判断を迫られる可能性が高まることを念頭に置いた方が良いのかも知れない。
◆本連載について
めまぐるしい変貌を遂げる中国。日々さまざまなニュースが飛び込んできますが、そのニュースをどう捉え、どう見ておくべきかを、新進気鋭のジャーナリスト や研究者がリアルタイムで提示します。政治・経済・軍事・社会問題・文化などあらゆる視点から、リレー形式で展開する中国時評です。
◆執筆者
富坂聰氏、石平氏、有本香氏(以上3名はジャーナリスト)
城山英巳氏(時事通信社外信部記者)、平野聡氏(東京大学准教授)
◆更新 : 毎週水曜
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