そもそも昨年12月、緑の党のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン候補が、接戦の末、自由党のノルベルト・ホーファー候補を破り大統領に当選した時、ヨーロッパは、これでポピュリズムの流れが変わるかもしれないと思った。確かに、その後、オランダの下院議員選挙、フランスの大統領選挙でポピュリスト勢力が軒並み敗退した。米国のトランプ政権の混迷ぶりを見てヨーロッパ諸国の国民はポピュリストに政権をゆだねることに慎重になったのではないか、との見方さえ示された。
しかし、その後、9月のドイツ総選挙、10月のオーストリア総選挙と続き、今回、ついにオーストリアで極右政党が政権入りするにおよび、その期待は根拠のないものであることがはっきりした。ヨーロッパは依然、ポピュリズム旋風の真っ只中にあるのだ。
自由党はポーランドやハンガリーの極右政党との連携強化を主張している。とりあえずはEUの難民政策が大きな影響を受けることになろう。そもそもオーストリアは、ヨーロッパではスウェーデンに次ぎ人口比で二番目に多くの難民を受け入れている国であり、2015年の難民危機にもいち早く動いたところだ。当時、クルツ外相はバルカン諸国と連携のうえ、バルカン半島からオーストリア、ドイツに向かう難民ルートを閉鎖した実績を持つ。メルケル首相の指導力低下がみられる今、EUがこれまで通りの難民政策を続けられると見る向きは少ない。
「警察」と「軍」を握った極右政党
発表された連立合意は政権の骨格を示すのみであり、陰で両党の間に何が話し合われたか定かでないが、少なくとも同時に発表された閣僚名簿は人々を驚かすに十分だった。何と、自由党が副首相に加え5閣僚ポストを握ったのである。しかも、その中には外相、内相、防衛相という政権の中枢のポストが含まれていた。中でも人々が驚いたのは、自由党が内相と防衛相の両方を取ったことである。つまり、自由党は警察と軍を握ったのである。
そもそも、オーストリアには第二次世界大戦後、長い間守られてきた不文律がある。内相と防衛相のポストは一つの政党が占めることはないというもので、これは大戦直前の1934年、警察と軍が示し合わせて労働者に発砲、多くの死傷者を出した事件を踏まえてのものだった。
今回、クルツ党首はこの不文律を破り、両大臣のポストを自由党に明け渡した。オーストリアでは、クルツ党首のこの対応に当然のことながら批判の声が上がっている。そもそも、国民党は自由党に対し譲りすぎなのではないか。先の総選挙で国民党の得票が31.6%なのに対し、自由党は26%だった。重要閣僚を3つも渡す必要はなかったのではないかというわけである。
クルツ党首にしてみれば、再び社民党と連立を組んだのでは有権者に新鮮な印象を与えることができないし、そもそも、右寄りの政策を掲げるクルツ党首としては社民党と組むわけにはいかないとの事情もあっただろう。そういうことで自由党に必要以上に譲歩したのかどうか、本当のところは必ずしも明らかでない。