10月15日の選挙結果を受け、オーストリアの国民党は自由党と連立交渉を行っていたが、12月15日、両党間で合意が成立、極右政党である自由党参加の連立政権が発足することとなった。首相には国民党のセバスティアン・クルツ党首が、また、副首相には自由党のハインツ=クリスティアン・シュトラーヒェ党首がそれぞれ就任する。
ヨーロッパ最年少首相の誕生
クルツ党首はまだ31才。これまで外相を務めていたが、今度はヨーロッパ最年少の首相になる。しかし、今回、国民党が政権の座に就くこととなったのは偏にクルツ党首の力による。弱冠31才で、国民党の支持率をここまで押し上げた力量にはただ脱帽する他ない。
オーストリアでは、戦後長きにわたり国民党と社民党が政権を分け合ってきた。2013年からは両党による大連立政権だったのである。しかし、戦後70年を経て、両党の旧態依然たる体制は次第に時代に適応しなくなってきた。そういう矢先の2015年、オーストリアを難民危機が襲った。ヨーロッパ中が対応に追われる中、クルツ外相は、難民に寛容な姿勢を示すドイツのメルケル首相を尻目に、受け入れを厳しく制限する政策を打ち出す。
その後2017年、国民党は選挙の顔としてクルツ外相に党首就任を要請した。しかし、クルツ外相はこれに簡単に応じることはなかった。党首就任の条件を7項目の「クルツ・リスト」として提示、党がこれを了承するならば党首就任に応じる旨回答した。「クルツ・リスト」には、クルツ氏が党首として、党運営の全権を握ること、政策及び連立交渉のフリーハンドを持つこと等が含まれていた。党はこれを呑み、党の命運をクルツ氏に預けることにしたのである。
クルツ党首は、元々中道右派だった国民党を右寄りにシフトさせる姿勢を明らかにしたが、これを機に、国民党の支持率はうなぎ上りに上昇していった。行き着いたところが10月の総選挙である。それまで第三党だった国民党は一気に第一党に躍進、自由党との間の連立交渉に臨むこととなったのである。
極右政党の「丸呑み」にEUが驚愕
さて、その自由党とはどういう党か。かつて、イェルク・ハイダー党首の下、ネオナチ的な極右政党として勇名をはせた記憶は生々しい。2000年、自由党は国民党との連立政権に参加、EUから厳しい批判を浴び、連立政権は5年の後崩壊した。その後、10年以上にわたり野党の地位にあったが、今回クルツ党首の登場により久し振りに表舞台に戻ってきた。クルツ党首にしてみれば、国民党を右寄りに持っていった先には自由党があり、これとの連立は自然な流れということかもしれない。
しかし、今となっては極右政党の連立参加も珍しくないヨーロッパとはいえ、オーストリアは伝統的な自由主義陣営の一員であり、EUの中の重要メンバーでもある。そのオーストリアで、極右政党が政権の座に就くとなればヨーロッパ諸国としても不安を抱かざるを得ない。