――「北の国から」を題材に選ばれたのはなぜでしょうか。
戦後日本における、普通の人々の暮らしを読み取るのに最適なドラマだと思ったからです。きっかけは2016年の秋に、なにげなく借りてきたDVDで、「北の国から」を観直したことです。
五郎の従兄の清吉(大滝秀治)が、かつての仲間たちが4軒まとめて離農していった時のことを一人語りするシーンで、ふと、なぜだろうと気になったんです。清吉は、仲間たちが離農した当時、北島三郎の「なみだ船」という曲が流行っていたと語っています。調べてみると「なみだ船」は1962年にヒットした曲で、その当時の農業になにが起きていたかというと、1961年に「農業基本法」が制定されていることがわかりました。
農業基本法とは生産性向上を目指し、トラクターなど機械の導入や農地の集約を進めるために定められた法律です。とくに北海道ではこの法律が施行されたことで、農地の集約が一気に進みました。これにより資本力のない小規模農家が離農せざるを得ない状況に追い込まれていったんです。北海道における農家数は、現在、1960年当時の2割に満たない数にまで減っています。
「北の国から」というドラマが、こうしたリアルな社会背景にもとづいて描かれているとわかり、それからは何気ないセリフにも注意深く耳を傾けるようになりました。
「金の卵」たちはその後どうなったのか
すると別のシーンでは、非常に聞き取りにくいセリフですが、五郎の兄たちが炭鉱の事故で亡くなったことが語られていることに気づきました。これも調べてみると、1960年頃は夕張などの炭鉱で大きな事故が相次いで起きています。当時は、相次ぐ事故とともに、輸入炭に押され始めるなど、国内の石炭産業が急速に斜陽化していく、まさに転換期であったこともわかりました。炭鉱の衰退を背景に、多くの若者が東京など大都市へと職を求め出て行くようになったようです。五郎が東京へ出ていったのも、こうした時代の波に乗ったものだったと考えられます。
こうして「金の卵」として東京へ出た若者たちがその後どうなったのか、じつはあまり知られていないのですが、統計データを見る限り、かなりの割合で地方に帰っていることがわかります。それは70年代に入ってから都市部との所得格差を縮めるため、地方で公共事業や製造業の誘致が盛んに行われるようになったことが大きな要因です。いわゆる“全総”という国策です。五郎も時代の波には少し遅れて80年に富良野へ戻りますが、60年代に東京へ出た若者がその後故郷に戻るというのは、時代を象徴する流れだったと言えます。