2024年12月23日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2017年12月8日

 12月1日、皇室会議が開かれ、平成が2019年4月30日で終わり、翌日から次の元号になると報じられた。にわかに注目を集める平成ではあるが、平成に起きた出来事を西暦ではなく、平成◯年と即答できる人は昭和と比べると、少ないのではないか。

 明治、大正、昭和という元号は、戦後日本でどのように位置付けられ、歴史意識に関わってきたのか。『「元号」と戦後日本』(青土社)を上梓した事業構想大学院大学の鈴木洋仁准教授に「戦後と元号」「平成という時代と、次の元号」について話を聞いた。

――ある出来事について考えるとき、一般的には平成よりも西暦で覚えている人たちのほうが多いように思います。

『「元号」と戦後日本』(鈴木洋仁、青土社)

鈴木:たとえば、阪神淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたのは1995年ですが、この年を平成7年だと覚えている人は少ないと思います。平成に入り、西暦ではなく、元号で意識することが、ますます希薄になってきたのではないでしょうか。

 日常生活のなかでは、書類などにも西暦で書くことが多いですから、西暦が主流かもしれません。日本史のテストでも元号ではなく西暦での解答が求められます。

 昭和であれば、1925を足すことで簡単に西暦に計算し直すことができました。しかし、平成を西暦に変換するには、1988を足さなければならず、計算も面倒です。そういった物理的な要因もあると思われます。

 一方で、第2次世界大戦終結前の昭和、つまり、戦前ではどうだったかと言えば、時代ごとのイメージを持つよりも、「明治」や「大正」は単に昔の時代を表す記号としての面が強かったと考えています。

――昭和以前の生まれだと、昭和の出来事に関しては、それが起こった年を元号で覚えている人が多いようにも思いますが、それは第2次世界大戦が終結した戦後に入ってから、元号への意識が変わったということでしょうか?

鈴木:昭和20年(1945年)に一度ご破算になり、リセットされました。というよりも正確に言えば、リセットしたいという欲望が、当時の日本社会に強かった、と思われます。そして、元号が、その時代ごとの雰囲気や空気を想像させるのは、「戦後」という時代区分が確固たるものとして共有されるようになったから可能になったのではないか、と論じました。


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