2024年12月23日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2014年7月11日

 最近、日常生活で「平成何年」と意識することが、昭和に比べると少なくなっているような気がする。また、物事に対し「昭和的」とは言っても、「平成的」とはほとんど耳にしない。「平成」の時代とは、そんなに印象が薄いのか。そして今私達が生きている「平成」とは、どんな特徴を持った時代区分なのか。今回、『「平成」論』(青弓社)を上梓した東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)研究協力者で、歴史社会学を専攻する鈴木洋仁氏に話を聞いた。

ーーいきなりですが、ズバリ「平成」ってどんな時代だとお考えですか?

『「平成」論』
(鈴木洋仁 著、青弓社)

鈴木:「平成」とは「わからない時代」、それこそが「平成」の特徴であると本の中で述べました。「昭和」を西暦に変換する時には、たとえば昭和60年ならば、1925を足して1985年となりますが、「平成」を西暦に変えるには、1988を足さなければいけません。単純に計算が面倒くさい。ここにまず「平成」の「わからなさ」が象徴されています。

ーーよくわからないことこそが「平成」の特徴であるというのは、今我々が生きている時代であるからでしょうか?

鈴木:「平成」独特の気持ち悪さがあって、その「わからない」感じや「何もない」感覚を、「メタ」な、つまり上から見る立場をとらずに、フラットな場に立って論じたのがこの本です。遠藤知巳さんが編んだ『フラット・カルチャー 現代日本の社会学』(せりか書房)の問題意識を引き継いでいます。

ーー「昭和」から西暦と、「平成」から西暦を比べると変換する計算はかなり面倒ですし、最近では平成〇〇年という言い方より、西暦で2014年などと言う方が多いような気もします。

鈴木:「平成」の今は基本的に西暦で考えていて、たとえば「55年生まれ」と言うと、普通は西暦、つまり1955年をさしていると思われるのではないでしょうか。 

 「昭和」では、生まれ年を昭和〇〇年、あるいは単に「〇〇年」と言えば「昭和」だと受け取られる方が普通で、西暦で考えるのは特別にそれを意識していた人だけだったのではないでしょうか。


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