オトナの教養 週末の一冊

2014年7月11日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

ーーただ、今回の本では元号については論じていますが、密接な関係がある天皇については論じていませんね。

鈴木:「明治」以降の元号は、天皇の在位期間と同じ長さになり、天皇が代わると元号も改められますから、密接な関係があります。ただ、天皇を論じることで、「日本」のすべてを論じた気分になってしまう。まさにそこが日本的なのですが、本書ではそこには触れずに、つまり天皇について言及せずにどこまで論じられるかを試してみました。

著者の鈴木洋仁さん

ーー本書では、「平成的な経済」や「平成的な歴史」、「平成的なニュース」などについて考察されています。「歴史については、過剰に語られるけども、『平成』そのものについてはあまり語られない」と書かれています。これはどういうことでしょうか?

鈴木:今から20年ほど前には「歴史教科書論争」があり、新しい歴史教科書をつくる会という運動があり、また昨今でも日韓関係をめぐってはいわゆる「従軍慰安婦問題」に世間の関心が集まります。しかし、「平成」という自分たちが生きている時代についての歴史意識は薄いのではないでしょうか。

昭和30年(1955年)に『昭和史』(岩波新書)という本が出版されると、学会だけではなく、世間を二分するほど大きく取り上げられ、「昭和史論争」が起きました。

 しかし、平成24年(2012年)に小熊英二先生たちが『平成史』(河出ブックス)を出しても、そのような論争は起きませんでした。

 まさにこの論争が起こらないということが「平成」を体現していると思います。さらに言えば、小熊先生たちは、初版からわずか1年4カ月後に「増補新版」を出しました。たったそれだけの期間に、しかも、書き足すべき大きな出来事はすぐには思い当たらないのに、さらに分厚く増補できてしまうことそれ自体もまた「平成」における歴史意識を如実にあらわしているのではないでしょうか。

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