「昭和史論争」では名だたる論客が発言しましたが、『平成史』をめぐっては論争そのものが全くありませんでした。このように「平成史」という呼び方が定着していないのは、「平成」という元号では時代を認識できていないからではないでしょうか。
ーーニュースについて言うと、「ことばがインフレを起こし、賞味期限が短い」と書かれている。最近のニュースは、人々の感情が急に盛り上がって、すごく短い期間で消費される。その傾向は「平成」になってから強いですか?
鈴木:私は、4年前まで6年間関西テレビの報道局報道部で記者・ディレクターとして働いていました。「ニュース」には、元々一気に盛り上がって消費されていく傾向はあると思います。しかし、「平成」になってから、「ニュース」は、その賞味期限の短さに反比例し、すごくお説教臭くなっているのではないでしょうか。そして、その傾向はますます強くなっているのではないでしょうか。
この平成26年(2014年)の上半期を振り返ってみるだけでも「とりあえず謝罪しろ」と言わんばかりの雰囲気はさまざまな「ニュース」に共通しているのではないでしょうか。実際、関係者が記者会見を開いて頭を下げると、世間の処罰感情はすっと消えていく。ジャーナリストの武田徹さんは、そうした風潮を指して『殺して忘れる社会』(河出書房新社)だと言っています。謝罪や辞任、辞職をすればそれ以上追求はされず、潮が引くように事態は忘れられているのではないでしょうか。
一罰百戒とでも言えばいいのか、被害者は絶対的に正しく、加害者は徹底的に間違っていると断罪する傾向があるように見えます。だから加害者には徹底した謝罪が求められる。この雰囲気を、私の指導教員・北田暁大先生の『責任と正義 リベラリズムの居場所』(勁草書房)、そして長谷正人さんの問題提起を借りて、拙著の中で「責任と正義」と呼びました。
ーー本書をどんな人にオススメしたいですか?
鈴木:「平成」を不思議だと思うような、「昭和」を生きてきた人に読んで頂ければ幸いです。「平成」を生きている、それこそ「平成」生まれの人たちには、おそらく、生まれた年を元号で言うか、あるいは西暦で言うか、という問い自体、なじみがないはずです。
読者として想定しているのは自分を「昭和的」だなと思う人たちです。そういう「昭和な人」たちからの反応を頂けるとうれしいです。
鈴木洋仁(すずき・ひろひと)
1980年、東京生まれ。2004年、京都大学総合人間学部卒業、同年、関西テレビ放送入社、10年、ドワンゴを経て、現在は、東京大学大学院学際情報学府博士課程、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)研究協力者(独立行政法人国際交流基金勤務)。専攻は歴史社会学。論文に「元号の歴史社会学・序説ー「明治の精神」を事例として」(東京大学大学院情報学環紀要 情報学研究」 第86号)など
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