電車内の携帯電話での通話、タバコのポイ捨て等々、一歩街に出れば腹が立ったり「迷惑だな」と不快に感じることが溢れている。私たちは、どのような行動を迷惑と感じるのだろうか。迷惑行為について研究し、昨年『迷惑行為はなぜなくならないのか?「迷惑学」から見た日本社会』(光文社新書)を上梓した金城学院大学人間科学部多元心理学科・北折充隆准教授に、どのような行為を迷惑行為と感じるか、またツイッターで大学生が起こした騒動などについて話を聞いた。
ーー暮らしていれば誰でも、「迷惑だな」と感じることの1つや2つあると思います。まず、人が迷惑だと感じるのはどんな行為でしょうか?
北折氏:本書では、迷惑行為について(1)「明文化されたルールや法律に違反した」行為、(2)「ルール化されてはいないが、他人に実害が及ぶ」行為、(3)「実害はないが他人に不快感を与える」行為、と定義しました。迷惑行為の圧倒的多数は、(1)と(2)で、法律や社会的なコンセンサスから外れるものです。これについては皆さんもすぐに納得してもらえると思います。
加えて3つ目の「実害はないが他人に不快感を与える」行為、すなわち社会ではなく個人の価値観や考え方から外れるものについても、「迷惑だな」と感じるのではないでしょうか。たとえば、その人にとって当たり前だと思っている行為と違うことをされると迷惑と感じるように。しかし、実のところ何が正しくて、何が間違っているかなんてものは、個人の考え方にもよりますし、時代によっても違います。ですから「迷惑行為」と「価値観の強要」はすごく近いものではないかと思うんです。
ーー「価値観の強要」ですか……。
北折氏:そうです。その人にとって当たり前だと思っていることを、「そんなの当たり前じゃないか、なぜやらないんだ?」などという具合に、要するにその個人の価値観を他人に強要することで、行為に対する認識のズレが生まれる。そのことで、当たり前といわれた側は、強制されたようで不愉快になり、迷惑だと感じるわけです。
たとえば、街中で奇抜な服装に眉をひそめた経験があるという方も多いと思います。その服装は、眉をひそめている人の価値観ではあり得ないものかもしれません。しかし、もしかしたらファッションの最先端で、やがてその場面では当たり前になるかもしれないわけです。そして、「近頃の若いもんは、チャラチャラした格好して! なんでもっとぴしっとしないんだ!」というのは、いわれた方にとってみれば、いい迷惑というわけです。