96年には、約43万人だったうつ病などの気分障害の患者は、2008年には約104万人と2倍以上に増加(厚生労働省の患者調査より)。その間に「うつは心の風邪」といったキャンペーンのもと、精神科や心療内科のイメージは一新し、誰もが過労などのストレスにより、うつ病を発症する、といった認識が広がった。なぜこの約10年間で2倍もうつ病患者が増えたのか。日本や北米におけるうつ病の変遷や、うつ病患者がこれほど増えた要因、ストレスチェック制度などについて『うつの医療人類学』(日本評論社)などの著作がある、医療人類学を専門とする北中淳子・慶應義塾大学文学部教授に聞いた。
――現在、日本ではうつ病に関し、「ストレスによる病」との認識が広がっているように思います。北中先生が大学院時代を過ごした北米と日本では、うつ病をはじめとする精神病についての捉え方にどのような違いがあるのでしょうか?
北中:精神医学では、「こころの病」に着目する精神療法的な見方と、バイオロジカルな「精神病は脳の疾患・化学物質による変調」とする見方の2つに大きくわけられます。
日本では、歴史的にバイオロジカルな立場が主流でした。日本の精神医学の父と言われる呉秀三は、ドイツの精神科医で、バイオロジカルな立場を取るエミール・クレペリンのもとで学び、帰国後、ドイツ神経科学的精神医学を日本のアカデミアでも確立させた。そうした経緯があり、日本ではバイオロジカルな理論、つまり「精神病は脳の病気だ」というドイツ精神医学の伝統を受け継ぎ、「内因性うつ病」を重視してきました。バイオロジカルな精神医学の特徴として、正常と異常の質的な断絶を重視することがあげられます。うつ病でも、単に心理的な原因だけでなく、早朝覚醒・睡眠障害・体重変動・気分変動といった、心理的葛藤だけでは容易に「了解」できないタイプの病をうつ病理解の中心においてきました。
――北米ではどうでしょうか?
北中:日本で呉により精神医学が確立される前後、1900年代の欧米の精神医学ではクレペリンらのバイオロジカル派と、精神分析学者のジークムント・フロイトらの精神分析派が、互いの理論の正当性を競い合っていました。
精神分析派の伝統では、うつ病をアリストテレスの時代のメランコリアの概念にまで遡るような、哲学や文学的な、自己洞察・宗教的経験とも関連のある自己理解の契機として捉えます。
こうした哲学的伝統を受け継いだ精神分析派の影響が、アメリカでは数十年前まで非常に強く、うつ病も神経症の延長線上で考える傾向が日本より強かったのです。
神経症概念では、心的な葛藤や、幼年期の両親との関係性が重視され、精神療法でも、幼年期から形成された自分の性格や生き様を振り返ることで、鬱をうみだしている人生の歪みに気づき、それを乗り越えることが目指されます。鬱をより広く捉えてきたわけです。
逆に日本では、こういった広義のうつ病ではなく、心身症状がかなり重い、より狭義のバイオロジカルなうつ病に注目してきたといえます。もともと統合失調症を主に見てきた日本の精神医療は、うつ病者にとっても敷居が高く、よほど重篤でない限り、わざわざ精神科を訪れることは稀でした。