――アメリカの医療と聞くと、なんでもかんでも投薬により治療しようとする姿勢が主流だと思っていました。
北中:1970年代に入り、ドラッグ・カルチャーが台頭すると、精神分析学派の名門医学部で学んだ若手医師たちが、LSDなどの薬物を経験します。そうした薬物を摂取すると、精神分析学では幼年期の経験などが影響していると教えられてきた妄想や幻覚、幻聴を簡単に体験できました。そこで、脳化学物質が変調をきたせば誰でもこうした体験ができることを知った若手医師たちは、精神障害は主にバイオロジカルなものではないかと考えるようになった。そう考えた若手医師たちは、精神分析学が体現する(彼らが古臭いと考えた)文化に反旗を翻し、1980年に精神医学に革命をもたらしたDSMⅢ(注:DSMは国際的に広く使われるアメリカ精神医学会によって出版されている「精神障害の診断と統計マニュアル」のこと)をつくりました。
私が1990年頃に北米で勉強していた頃でも「フロイト戦争」と言われる精神分析学派とバイオロジカル派の激しい対立は続いていましたが、医療経済の影響もあり、2000年ごろに精神分析学派の敗退が明らかになっていきます。
――つまり、近代の精神医学が確立されてから続いていていたバイオロジカル派と精神分析派の争いに一旦終止符が打たれたと。やはり、1990年代に入り登場した新世代抗うつ薬・プロザックの影響が大きかったのでしょうか。
北中:プロザックを服用することで、長年精神療法を受けても良くならなかったうつ病患者が回復しただけでなく、本当の自分を手に入れられる、性格が明るくなったという、今では疑われている主張まで広まりました。その後には、精神障害を患っていない科学者がこうした向精神薬を生産性やクリエイティヴィティの増加のために服用していることも明らかになりました。
特に、「脳の10年」と言われた1990年代には、MRIなどの発展により、生物医学的な視点から精神病を解明できるのではないかという期待が高まると同時に、ヒトゲノム解析も盛んになった。ゲノム解析さえできれば、精神病の原因や治療がわかるのではないかという楽観主義も強まりました。しかし、統合失調症やうつ病に関する遺伝子に関する発見はありましたが、ゲノム研究が進むほど、単一の遺伝子により精神病が発症するわけでないという考えが確立していきます。つまり、現状は、以前から考えられていた通り、環境との相互作用が非常に強いことがわかっています。
――日本では、2000年代に入りうつ病患者が激増し、SSRIなどの新しいタイプの抗うつ薬が浸透しました。ここにはどういった背景があったのでしょうか?
北中:1990年代にプロザックのマーケティングのために、製薬会社が日本を訪れますが、日本にはうつ病のマーケットがないと判断し、諦めています。
その後、製薬会社は、精神科医や文化人類学者を招き、非公開のシンポジウムを開いたりしています。そういったマーケティング調査から、日本人は精神病に非常に抵抗が強いことから、体の病として精神病を広げたほうが良いといった戦略が採られていきます。製薬会社は、「うつは心の風邪」というキャッチフレーズで、新世代抗うつ薬のマーケティングを大々的に行い、大成功しました。これがうつ病流行の1つの要因です。