2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2018年1月5日

サウジ・イラン対立に準ずる第二の対立軸

 第3に、中東地域におけるトルコの存在感を高める意図が指摘できる。公正発展党政権下、トルコは2005年以降、中東地域においてその存在感を高めた。2005年から2010年までは「ゼロプロブレム」外交に代表された全方位外交、仲介外交を展開した。2010年末からの「アラブの春」に際しては、エジプトのムスリム同胞団、チュニジアのナフダ党に民主化の「モデル」として影響を与え、強い国際的影響力を示した。しかし、エジプトでのシーシー国防大臣(その後大統領)を中心としたムルシー政権の転覆、さらに「シリア内戦」の泥沼にはまる中で、トルコの中東地域における影響力は相対的に低下した。

 トルコにとってエルサレム首都認定に関して強い態度を示すことで、とりわけ中東の民衆からの支持を得て、再び中東における影響力を回復することが期待されたのである。2008年末から2009年初頭にかけての第一次ガザ戦争の際、スイスのダボス会議に出席したエルドアンは、イスラエルのペレス大統領を痛烈に批判して会場を去ったことでムスリム社会から称賛された。今回の迅速な対応もダボス会議の再現を狙っているのかもしれない。

 また、中東における他のアメリカの同盟国であるサウジアラビアとエジプトが歯切れの悪い対応に終始しているのを尻目に、トルコが外交面で攻勢をかけているようにも映る。サウジアラビアとエジプトはアメリカとの関係に加え、近年、イスラエルとの関係も密接になっている。両国にアラブ首長国連邦(UAE)を加えた3ヵ国とトルコは2017年6月に起きたカタール断交をめぐって対立していた。この対立の背景には、トルコとカタールがムスリム同胞団を支持しているのに対し、サウジアラビア、エジプト、UAEが同組織をテロ組織と批判していることがある。また、トルコとカタールが「アラブの春」に際して、民主化を正当化するものとして民衆やムスリム同胞団のような草の根の組織を支持したのに対し、サウジアラビア、エジプト、UAEはそうした動きを警戒した。特にムルシー政権を転覆させ、発足したエジプトのシーシー政権は「アラブの春」とムスリム同胞団に強い嫌悪感を示している。

 トルコ・カタール対サウジアラビア・UAE・エジプトという構図は今回のエルサレム首都認定でも見られた。トルコが招集を呼び掛けたOICの緊急首脳会合にサウジアラビア、UAE、エジプトは首脳クラスではなく外務担当大臣などを派遣した。また、サウジアラビアとエジプトは緊急会合に出席したパレスチナのマフムード・アッバス議長とヨルダンのアブドゥッラー国王に事前に緊急会合への参加を見送るように呼び掛けたとも一部のメディアにおいて報道されている。真意の程は明らかではないが、中東において、サウジアラビアとイランの対立に準ずる、サウジアラビア・UAE・エジプトとトルコ・カタールの対立が鮮明になりつつある。


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