2024年7月16日(火)

オトナの教養 週末の一冊

2018年3月16日

—— 陸軍の高官が戦時中疎開していた皇太子(現天皇)に、「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」と問われ、「特攻戦法というのは、日本人の性質によくかなっているもの」と返答しています。

鴻上 欧米の演出家に、日本の役者を指導するのは「楽」だと言われることがあります。「そこで三歩、歩いて」「そこで、座って」など、「なぜ?」と思うような指示であっても黙って言うことを聞いてくれるからだそうです。一方で、欧米の役者であれば、「なぜか?」という理屈を教えないと、指示通りにはしてくれない。

 日本人としては複雑な気持ちになりますが、実際私も似たような経験をしたことがあります。イギリスの演劇学校に通っているときに、難しい課題を出されて、誰が最初に発表するかということになりました。なかなか決まらないので、「ジャンケンでどう?」と、私が提案して、ジャンケンのルールを説明すると思わぬ反論を受けました。「お前は、こんな大事なことを偶然で決めるのか?」と、皆怒りはじめたのです。こうしたことから考えると、やはり欧米人は「特攻」を組織として命じられても納得しないでしょう。危急の場面では個人が命をなげうつことをしたとしても。

 日本人は、やはり「所与性」というものが強いのだと思います。自然災害など、どうしようもない事象に繰り返し遭ってきたため、そうした苦難を与えられたものとして諦める。同時に、島国で他国に侵略されことがなく、言語も同一で、村落共同体のような「世間」が長く続きました。そうしたなかで、社会学者の南博さんが言うところの、自我と集団を一体化する「集団『我』」というものが生まれました。「集団我」は、プラスに働くときは良いですが、特攻のようにマイナスに働くと悲惨なことになります。

—— 同じく陸軍の兵士として戦った大岡昇平さんは『レイテ戦記』(中公文庫)のなかで、鴻上さんもおっしゃっているように、佐々木さん対して批判的に書かれているように感じます。ただ、それが日本人の感情なのかなと思います。なぜ、「お前だけ生きているんだ?」と。まさに「集団我」から生まれる「同調圧力」というものは、日本人に深く根付いていると思います。

鴻上 大岡さんも、実際に佐々木さんに会っていれば、このような書き方はしなかったと思います。おそらくですが、誰かかからの伝聞で書いたのでしょう。


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