2024年12月22日(日)

使えない上司・使えない部下

2018年4月12日

 今回は、ファイナンシャルプランナーの笠井裕予さんを取材した。笠井さんは保険商品から資産運用までお金に関わる相談を個人や企業、団体から受け、コンサルティングなどをする。一方で、全国各地でのマネー・セミナーなどの講師をしている。セミナーを終えた後の個別相談会は、年間300回を超える。

 20代の頃から転職を繰り返し、2007年、36歳のときに5000万円を超える借金で自己破産寸前になる。ファイナンシャルプランナーの江上治氏に支えられ、再起する。江上氏の後を継ぐ形で、2014年からファイナンシャルプランニング業務をする株式会社オフィシャル(広島市)の代表取締役社長を務める。

 自らの経験をもとにマネーキャリア協会を設立し、人生の進み方を可視化する人生計画やマナー計画の作成などの講演もする。

 著書に『成功したい女(ひと)は、「結婚」を捨てなさい ――借金5000万円からの「私の5年闘争」』『貯金0でも「お金に強い女」になれる』(経済界)。

(SIphotography/iStock)

カードローンで気づくと、500万円の借金

 率直に言うならば、結婚に逃げているのかなと感じる女性はいます。婚活に逃げている女性もいるようです。私は、結婚願望を捨てざるを得ないようになったのです。36歳のときに5000万を超える借金をしてしまいました。豪遊をしたわけでもなく、服などを買い込んだたわけでもないです。

 20代の半ばまでは、広島市の中小企業で事務職をしていました。「何か、もっと自分のやりたいことがあるはず」。そんな衝動を抑えることができなかったのです。5年半勤務したときに思いきって辞めて、「やりたいこと探し」をしました。

 この時期は、インテリアコーディネーターや照明コーディネーターなどの勉強をしました。教材や学費などで数百万円を使いましたが、いずれの資格も技術も身につけることができなかったのです。知人の紹介でネットワークビジネスをするようになりました。懸命に仕事をするものの、わずかな収入を得る生活が3年ほど続きます。

 親にお金を借りたり、カードローンで借りて生活費を補うようになりました。それが積み重なり、500万円ほどの借金になったのです。当時は金利が相当に高く、1つのローン会社にお金を返すために、ほかの会社のローンで借りて返済をしていました。結局、返済することができなくなり、広島地方裁判所へ行き、借金の整理をしました。

 私の生活は、変わりませんでした。この頃に同じアパートに住む女性から紹介されたコンサルタントの勧めで、未公開株の販売をするようになります。収入が少なく、生活が苦しかったこともあり、疑うこともしなかったのです。

 私はセールストークを覚えるのも速く、ネットワークビジネスの頃の仲間を組織化し、どんどんと販売し、契約を次々と成立させるようになりました。月収が100万円近くになりますが、わずか1年で終わります。しだいに、未公開株の販売に厳しい世論が湧きおこるようになりました。


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