とにかく渋い。でもこの須田国太郎がこの美術館では数多く集められている。須田国太郎と、そして鳥海青児。この画家も渋くて好きだ。その渋さは、いわば老舗の和菓子のような味わいで、渋いながらも、須田よりはもう少し明解な自分のスタイルができていて、ある意味ではモダンである。
須田国太郎の絵は、何だろうか。和菓子ではなく、いわゆるご馳走とも違うもの。たとえていうと、客には出さない家庭料理の、お麩と大根の煮しめのようだ。祖母が作る変らぬ味という、あの感じとしかいいようがない。この美術館の開館五周年では、この両者による二人展が開かれている。
さて入口から入ったところはじつは二階で、次は階段を降りていく。一階にはラウンジがあり、庭側の一面がガラス張りで、外には不思議な眺めが広がっていた。そこはゆるやかな凹凸の庭のような広場で、中央付近に小さな池があり、そこに白鷺がぽつんと一羽。
それはいいのだけど、その、ふつうなら緑の芝生が広がりそうな地面が、端まで乾いた土だ。しかも全面に細かいヒビ割れが入っている。何だか全域が巨大な陶器みたいで、こんな造りの庭ははじめてだ。
何だろうか。駅からここまで歩きながら感じていた穏やかな空気は、これが発生源ではないのかと思われた。池の白鷺がいつまでも撮ってほしそうに立っているので、とりあえずカメラを向けてシャッターを切った。
美術館の人が寄ってきて、この蛙股〔かえるまた〕池は日本最古の溜池だという。どういうことかと聞くと、『日本書紀』にその記述があり、607年の推古天皇のときに池が造られ、その隣に守護神を祭る神社が建てられたとあるそうだ。
推古天皇……、それは古い。大変な大昔だ。不思議な感じはそのせいだろうか。それにしてはずいぶん小さな池だが、それよりこの全域がひび入り陶器みたいな造りのこの広場は……、と怪訝な顔をしていると、美術館の人がつづけた。いまはちょうど池の水を引いてこんなふうだけど、ふだんはあの向うの大和文華館〔やまとぶんかかん〕の方まで水があるんです、と説明してくれた。冬の間、二月くらいまでこの状態だという。
そうだったのか。自分はたまたまこの池の干上がった底を見ていたのだ。この溜池の地肌というか、推古天皇の地膚のようなものを見ていたわけだ。