一階の展示室には日本画の軸や額が並ぶ。村上華岳〔かがく〕、入江波光〔はこう〕、土田麦僊〔ばくせん〕といった名前が目につく。
どれも色調の淡い作品で、料理でいうとそうとうな薄味だ。入江波光のことは寡聞にして知らなかったが、これが一段と淡く、どこまでも淡く、超薄味で、味わうこと自体が非常に難しい。
村上華岳も淡いが、こちらの仏画には独特のスタイルがあるので、まずは視線を落着かせることができる。でもやはり味わうのは難しい。華岳の絵に魅入られる人は意外と多く、その関係の深度はそうとう深いようだ。
ほかに小林古径、徳岡神泉、冨田溪仙などの名前が見える。日本料理の場合も味をきわめるとどんどん薄味になっていくが、あまり先に行くともう味がわからなくなる。
日本画の展示室の一角にはお茶室が造られていた。これはここでお茶をいただくというより、和の味わいを見せることにあるようだ。この美術館創立者の家業は林業で、その中のとりわけ吉野杉の材としての美しさをここで見せている。
「青年の首(岡崎精郎之顔)」
1918年 クレパス・紙
美術館を創った中野睆司〔かんじ〕さんは、この奈良(御所〔ごせ〕市)の旧家の人だ。子供のころは油絵を描いていて、三十代には鳥海青児の絵をよく模写していたそうだ。その後は美術館めぐりが多くなったが「絵は本来一人で見るもの」という考えからいつも一人。美術館が出来てからは、現在の二代目館長の長男中野利昭さんもいっしょに行くようになったという。
初代が最初に買った絵は林武の「金精山〔こんせいざん〕」で、そして間もなく須田国太郎の「大山田神社附近」を購入。この須田国太郎に魅かれてコレクションが始った。その後四十代になってから村上華岳や入江波光に魅かれ、これがまたコレクションの一方の柱になっていった。
いずれの作品も渋く、そして薄味で、そこに魅かれていくにはかなり奥まった感覚を要する。それはやはりこの地の長い歴史から浸〔し〕み出た感覚なのかと、それをしみじみ思わされた。
(写真:川上尚見)