その美術館は、奈良市郊外の駅からつづく穏やかな道を行った先に、
豊かな緑と、女帝によってはるか古〔いにしえ〕から満たされた溜池に周囲をかこまれて、寡黙であったという創立者さながら、静かに静かに建っていました──。
玄関ホール
最寄りの学園前駅を出た辺りは、いくつかビルが立て込んでいたが、少し歩くと「奈良だな」という感じに包まれた。何がといってはっきりしないが、空間がゆっくりしているようで、坂道にしろ曲り角にしろ、何となくなだらかな感じがするのだ。このなだらかな感じは何だろうか。何とも言いあらわし難いところは、独特である。
中野美術館はそんな奈良的な穏やかな道を歩いた先にあった。とくに和風建築というわけではないが、入口で靴を脱いでスリッパに履き換える。ここまでゆるやかに歩いてきたので、靴を脱ぐのに異和感はない。
静かな展示室に入ると、まず洋画が並ぶ。洋画といっても外国のものではなく、近代日本の油絵だ。古いところでは浅井忠、藤田嗣治、小出楢重〔こいでならしげ〕、そして須田国太郎、鳥海青児〔ちょうかいせいじ〕ほか多数。
浅井忠は水彩画もあり、描写の適確さに感心する。国吉康雄や万〔よろず〕鉄五郎もあった。万鉄五郎の風景画は、大胆な表現で知られる彼の、意外と実直で端正な面が見られて面白い。岸田劉生は紙の上の着色デッサンだが、この人の絵には動きを殺した暗黒舞踏のような、何か黒光りするものがある。
いずれも小品で、大声で叫ぶような絵ではなく、人の沈黙を絞り出して画面に押し拡げたような、地味で引きつけるものばかりが並ぶ。その感じを代表しているのが須田国太郎だ。ゆっくりと地を這うように描かれた風景画が、どれも緊張を押し殺した感じで、渋い。
浅井忠「秋郊」/小出楢重「鏡のある静物