2024年11月22日(金)

サイバー空間の権力論

2018年4月25日

情報管理の甘さ
Facebookに批判が殺到

 CAがFacebookの情報から選挙に影響を及ぼしたことを受けて、現在アメリカではFacebookに批判が殺到している。Facebookは2015年にはデータがCAに不正に売却されていることを確認し、上述の通りCAに対してデータの廃棄を求めた。当時においても学術目的のデータを企業に売却することは規約違反だからだ。その意味でFacebookも個人情報を不正に利用された被害者ではあるのだが、その後削除されたかどうかを詳しく調査しなかったという。また2015年の段階でこの事実を知っていながら、ユーザーに情報が漏れた可能性があることを知らせなかったことなどが批判されている。

 データを利用すれば選挙への利用、つまりユーザーにとっては「政治信条を情報操作」される可能性がある。それほどまでに重要な問題であるのに、なぜユーザーに知らせなかったのか、ということに人々は怒りを覚えているのだ。

 こうした疑惑からFacebookのマーク・ザッカーバーグCEOは、アメリカの上下両院の公聴会に呼ばれ、計10時間にわたって証言することとなった。この模様はアメリカのテレビでも連日放送され、事件発覚からFacebookの株価は急落し続けた。公聴会後には多少持ち直したものの、いずれにせよFacebookに対する信頼は大きく揺らいでいる。

Facebookは民主主義を破壊するのか

 公聴会においてザッカーバーグはFacebookの情報管理の甘さを謝罪し、必要があれば法規制を受け入れると述べている。だがFacebookの課題は山積みだ。公聴会で問われたもののひとつに、Facebookに登録していない非ユーザーの情報までもFacebookが取得している、いわゆるシャドープロフィール問題などがあった。この問題を受けて、最近Facebookのプロダクトマネジメントディレクターがその手法について説明し、同様の方法はTwitterやGoogleも行っていると述べた。

 またFacebookにはメールアドレスと電話番号からユーザーを検索する機能があり、これを利用すれば友達にならなくとも、ユーザーの公開情報が取得できる。これを用いて世界中のデータブローカーが、なんらかの形で21億人ほぼすべてのFacebookユーザーの情報を取得しているとも言われている。この問題はすでに2013年に発覚し批判を浴び続けてきたが、この検索機能を終了したのはCA問題が発覚してからである。

 IT系メディアからもFacebookに対する批判が止まらない。その最大の理由は、1民間企業が民主主義に大きな影響を与える権力を有してしまったことにある。個人情報というとき、読者はどのようなものを思い浮かべるだろうか。メールアドレスやSNSが乗っ取られるならまだしも、仮にどこかで個人情報が流出したとしても、それが自分にどのような影響を与えるかは想像し難い部分があるだろう。しかし、今回の事件からわかったことは、個人情報は「個人」を越えるということだ。どういうことか。

 今回、Facebookを通して8700万(あるいはそれ以上)の人々の情報が不正に利用され、データ分析の結果、知らず知らずのうちに、広告などの形で情報が我々の心に政治介入してきた。それは我々が、気づかぬところで無意識に感情操作されている、ということを意味する。

 CA問題を告発したワイリーはインタビューの中で、Facebookから人々のプロフィールを収穫(harvest)し、そこから人々の「inner demons:内なる悪魔」をターゲットにする、と述べている。

 我々の心には善も悪も同居している。だがデータ分析によって「自分より自分のことを知る」技術が開発されているとしたら。効率的にその人の「内なる悪魔」を呼び寄せることが可能かもしれない。誰かを排斥したり、嫌な気持ちをぶつけたくなるように、ユーザー各々の心に響く情報を与えることができるとしたら、そのためのデータである個人情報は、すでに自分だけのものではないだろう。なぜなら、人々の気持ちを効率的に操作できるのだとしたら、そしてそれが数千万人規模で行われるのであれば、少なくとも建前として社会に共有されている、自律した個人による選挙、という民主主義の土台を切り崩してしまうからだ(最近では、「心理オペレーション:psychological operation」という言葉も登場し、人の心理を操作することがより身近な問題となっている)。

 今回の事件は、単にユーザーの個人情報が流出したという問題ではない。個人情報はこのように、個人の損得を越えて、社会全体を揺るがすものになってしまっている。その意味で、今回の事件が民主主義の根幹を揺るがすというのは、誇張した表現ではないと言えるだろう。サイバー空間における個人情報の考え方は改めて問われなければならない。SNSと民主主義は岐路に立っている。

  
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