先日、建築家・安藤忠雄さんと対談しました。安藤忠雄さんは独学で勉強し、世界的な建築家になった方です。独学で大成することは、一般にはとてもむずかしい。例えば、私は脳の研究をしているのですが、いろいろな人が、「画期的な心理論を考えました」とか、「意識の問題はこれで解けると思います」という手紙やメールを送ってきます。でも、そういう人は専門家の立場からすると、どうしても詰めが甘い。独学で何かを学ぶというのは、とても難しいことなんです。なぜかといえば、凛とした美しい学問の姿というか、学問の体系性が身につきにくい。
それでは、なぜ安藤さんは世界的な建築家になりえたのでしょうか。彼自身は大学へ行かなかったのですが、京都大学に行った自分の同級生に、「京大の建築学科では、どんな本を教科書にしているか」というのを全部教えてもらったというんです。それで教科書に即した勉強を、一日十六時間、一年間続けた。つまり、京都大学の建築学科の体系的な教科書のシステムを学んだからなのでしょう。体系性って大事だなとそこで思ったわけです。
私も、脳科学に興味を持つ人に対して、「脳科学のことを知りたかったら、我々が読むような論文はネット上にもありますよ」と言います。ただ、この学問の体系性を伝えるということまでは難しい。論文という「点」は存在しても、それを体系的に線でつなぐということが難しいわけです。
要するに、ある何かについての情報をいくら集めても、誰かが生きているという生き生きとした感じというのは絶対に再現できないんですよ。
私は従来の日本論というのはそのようになっていたという感じがするんです。雑誌などで行われてきた従来の日本の特集というのは、何か残骸となったような日本です。日本を語ることは、海外向けのお土産みたいに、富士山や芸者をカタログ化することではないって言いたくなります。