幕末の若きサムライが見た中国

2018年6月16日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

清国のダメさ加減を象徴する「ナマクラ」

 月が改まった6月の某日、「獨行」し雑沓する寺院を経て次に向かった文廟では、数人の「英夷(イギリス兵)」から呼び止められた。孔子像はすでに他所に移されイギリス軍の野戦病院となっていたらしい。「各堂ノ獰風腥キニ堪へス」というから、傷病兵が溢れていたのだろう。太平天国軍との戦いの激しさが窺われるようだ。かくて名倉は、中華文明の根幹である聖人・孔子を祀る文廟の変貌からに「イカニモ支那ノ衰世」を感じ取っている。

 「英虜ノ頭目」――文廟駐屯のイギリス軍司令官だろう――が盛んに酒を勧めるから、彼らの「鎗砲白刃」の中を「余傲然トシテ」飲み干す。身振り手振りでのボディーランゲージとアルコールが、英語の出来ない名倉とイギリス兵の間をグッと近づけたのだろう。

 馬銓宅を訪れた折りのことだが、彼が佩刀と槍が誇示した。そこで名倉が手にしてみる。刀は「長僅ニ一尺五六寸鈍刀ト覚ユ」。槍の「刃ノ長五六寸是亦釘ヲ打ノヘタルニ似タリ」といった有様。「鈍刀」に加え「釘ヲ打」ち延べたような槍だ。馬が自慢の刀と槍が清国のダメさ加減を象徴している。おそらく名倉は腹の中で「こんなナマクラな刀と槍では、戦にはなりもうさん」と思ったに違いない。

 郊外を「徘徊」し農村の様子を観察するが、そこに集まる多くの難民の悲惨な生活ぶり、さらには立派な門構えの邸宅でも屋敷内を田畑に設えるなどの「乱世の光景」に接し慄然とし憐れみを覚える。

それでも「用兵の妙」には感嘆せざるを得ない

 上海上陸から40日ほどが過ぎた頃、念願だった清国軍の操練視察が実現した。操練には余ほど興味があったと見えて詳細に記録した後、講評を綴っている。

 「余カ同来ノ人」は操練を見て、「之ヲ大ニ誹謗スルモノアリ是ハ全ク兵法ヲ夢見セルモノノ談ト云フヘシ」。以下、延々と「同来ノ人」の「誹謗」の根拠がない点を次のように論じている。

 ――だいたい今回の同行者の中でも「兵法ヲ熟知スル者多カラジ」。そのうえ我が国では長い泰平の世に馴れてしまい、兵法者といったところで実戦を経験していない。最近の戦争の実態を知らないから、日本の鋭い刀槍と西洋の優れた火器さえあれば無敵だなどと口にできるのだ。

 こういった連中の目には、清国軍の「操練」は拙劣の極みに映るだろう。だいいち刀も槍もナマクラで使い物にならず、火器も老朽化しているから「誹謗スル」ことになる。だが、清国軍は太平天国軍相手の実戦を積んでいる。その用兵の妙には感嘆せざるをえない。しかも連日斥候を遣って敵情を探っているではないか。こういったことは「本朝ニ在テ希有ノ事ナレハ能々眼ヲ注キ心ヲ潜メテ玩索スヘキニ非スヤ」。武士とはいえ太平の世に慣れ、戦から離れて長いのだから、やはり実戦を重ねている清国の軍隊操練から何か学ぶべき点があるはず。虚心坦懐に「玩索スヘキ」だ。

 アヘン戦争以来、「洋虜(西欧)」との戦争に負け続けているが、清国軍は伝統的な「陣法兵制」を貫き「虜風(西欧方式)」の真似をしてはいない。こういう態度を愚とも狂とも評するかも知れないが、その志は高く評価すべきだ。だから「支那ノ弱兵」が「旧来ノ拙キ火器ヲ用ユルタルモ」、西洋軍に勝利することだって考えられないことはないだろうに。

 「本朝ノ武勇タクマシキ兵」に西欧の近代兵器と海軍を備えることができたら、まさに「虎ニ翼ヲ添ユルモノ」のように無敵であり、西欧の軍隊など恐れるに足らない。だが西欧の兵法を真似て「気節ヲ失」ってしまってはダメだ。

 清国軍は兵を動かし陣形を整えるのにカネや太鼓を使っているが、「凡ソ号令約束ハ本朝ノ操練ニ比スレハ甚タ簡易ナル様ニ覚ヘタリ是皆実地ヲ施コス処ノ真ノ操練ナレハ余レ敢テ之ヲ非トセサルナリ」。やはり実戦を踏んだ軍隊である。戦場での伝達方法は単純明快でなければならず、これこそ真の操練というものだろう――

 実戦は遥かな昔である。江戸の長い泰平の世を謳歌し備えを怠りながら、「支那ノ弱兵」ぶりを「誹謗」することは愚なことだ。独りよがりの考えを強く諌める名倉は、大きな時代状況の中に身を置いて客観視すべし、と力説している。

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