「ドクターイエロー」のT4編成が2025年1月に引退した。東海道・山陽新幹線の線路や架線をチェックする「検測車」と呼ばれる車両で、2編成あるうちのひとつ。もう1編成も近いうちに引退が予定されている。
華やかなイエローの車体で老若男女に親しまれた車両はどのように生まれ、発展し、なぜ消えていくのか。技術者として0形からN700系まで新幹線の開発に携わり続けてきた現・JR東海テクノクリエイトの上野雅之代表取締役社長に、T4編成開発当時の秘話や、引退した今の思いを語ってもらった。(この記事は「ひととき」2025年12月号特集「幸せの黄色い新幹線」内の上野社長インタビューを大幅に加筆・再編成したものです)
寂しさよりも安堵
T4編成の引退で、よく「手塩にかけた車両が引退して廃車になったら、寂しいだろう」などと訊かれます。しかし、設計屋としては「ホッとした」というのが正直な感想です。
引退、廃車というのは、自分が手掛けた車両が最後まで無事に走り、役割をしっかりと果たしてくれた結果です。廃車になった時点でようやく責任を果たせたなと思い、充実感というか、達成感を感じます。
国鉄時代の0系新幹線最終編成の開発に携わり、その後、2020年から運用が始まった現在のN700Sまで、すべての東海道新幹線車両の開発に、何らかの形で関わり続けました。ドクターイエローのT4編成に取り組んだのは、700系新幹線の先行試作車をつくって、最初の量産車をつくった直後の1999年でした。
まだ700系量産車の開発は続いていて、それと並行してT4編成の開発を進めることになったので、それは毎日たいへんな忙しさでしたね。いまでいう「ワークライフバランス」は、崩れ放題といった感じでした(笑)。
その頃、新幹線の車両開発を担当していた車両課には、「制御」「車体」「台車」という3つのグループがあり、属していたのは「制御」です。車両を安全に動かしたり、止めたりする技術やパンタグラフを昇降させる技術など、とにかく動きのあるところは、すべて制御が関わります。当時、車両課の課長代理でしたから、制御関係にはすべて目を通していました。
検測用の車両というのは、営業車とは異なる機能と役割を負った特殊な車両ですが、だからといって、オンリーワンの特別な車両づくりはできません。まったく違う車両をつくろうとするとリスクが大きくなります。また、他にない特殊な設計にすると、その車両のためだけに、膨大な予備の部品を保管し続ける必要が生じます。T4は700系をベースにして設計していきました。
