そこで、その頃、普及してきた光ファイバーの回路を仕込んだ記憶があります。電線を100本くらいに減らし、光ファイバー10本くらいでデータを伝送できました。今では当たり前になったデジタル伝送も、T4を使っていろいろな試験を行いました。
伝送技術の発達に応じてT4で試験を重ねてきたからこそ、N700Sの営業車に取り付けたセンサーで電気関係や軌道などの検測データを収集し、送ることが可能になりました。T4は制御技術の進化に一翼を担ってくれたといえますね。
T4編成、引退への思い
伝送技術などいろいろな技術の取り組みは、次のN700に活かされましたし、N700がT4から発展させた技術は、N700Sに受け継がれました。かっこいい言い方をすると、DNAがつながっていて、カタチはかわっても、新幹線の中身は、これまで達成してきたことが活きています。
N700Sの営業車による検測にも、そのような技術のDNAが息づいています。営業車による計測は、JR東海の中では古くから言われてきたことで、施設や電気分野の人はずっと勉強されてきたと思います。
検測車というのは、10日に1回、専用の人員をつけて走らせるので、特殊といえば特殊です。一方、営業列車は毎日130編成くらい走っていて、その中の10編成くらいに検測装置をつければ、毎日膨大なデータを収集できます。車両側でも地上側でも、伝送などデータをやりとりする仕組みが準備されましたから、頻度もデータ量も格段に違うと思います。
このような現在の技術革新にまでつながっているT4は、その時代の技術を駆使して新幹線の安全・安定輸送に貢献した功労者だと思います。黄色いカラーがお客様から「ドクターイエロー」と親しまれ、愛されて20数年間、無事に走ってくれました。
その開発の一翼を担わせてもらい、自分の鉄道人生の中でも貴重な経験をさせてもらいました。検測車とここまで正面から取り組んだのは、T4以外にありません。
営業車とは違う技術的な要請もいろいろあった特別な車で、記憶に残る車両ですね。T4にはそのようないろいろな思いを込めて、よく頑張って走ってくれたと感謝したいと思います。(構成=清田勝哉)

