退院から1カ月。
2カ月に及ぶ闘病を終え、ようやく日常の輪郭が戻りつつある時期であった。体調は安定し、食欲もある。夜も眠れる。朝夕の散歩は6000歩を超え、リハビリとしては申し分ない回復ぶりであった。
だが、その「戻りかけた日常」は、きわめて脆かった。
大腸癌、肝臓転移。ステージ4。11時間を超える大手術、集中治療室、57日間の入院。手術は成功した。しかし実体は生還という言葉より、「生き延びた」という表現の方が正確であった。
その後の1カ月検診は、区切りの確認作業にすぎないと思っていた。血液検査、CT、いつもの診察室。しかし主治医の表情が、一瞬だけ硬くなる。
その刹那、私は悟った。長年、資源の世界で修羅場をくぐってきた人間特有の、根拠のない確信である。
「肺の転移が増殖している。最後の癌手術をしましょう」
声は淡々としていた。だが、その内容は容赦がなかった。終わったはずの闘いは、終わっていなかったのである。
「少し休ませてほしい」――率直な弱音を許した瞬間
私は正直に答えた。
「前回の闘病は、正直きつかった。少し休ませてほしい」
虚勢は張らなかった。
山師であっても、がんファイターであっても、人間である。肝臓を削られ、腹を開き、体力は底を打っていた。温泉に浸かり、孫の顔を見て、静かに体を立て直したい。
それは逃げではなく、「整える時間」を求める自然な欲求であった。だが、医学は感情に寄り添いすぎない。
「今、延ばすのはリスクだ」――冷徹な医学の論理
主治医は一歩も引かなかった。
「今、手術の時期を延ばすのはリスクがあります」
語調は穏やかだが、芯は鋼鉄であった。医師は希望を語らない。事実だけを示す。肺転移は待ってくれない。体力の回復を待つ間にも、癌は静かに、確実に進行する。この局面での判断は、「楽か苦か」ではない。
「今か、遅すぎるか」である。
折れそうな心を立て直すために私はその現実を、正面から受け止めた。
家族という「もう一人の患者」
家族全員に肺転移の事実を伝えた。その瞬間、部屋に深い沈黙が落ちた。誰も声を荒げない。誰も泣かない。
だが、その沈黙が何よりも重かった。そのとき私は理解した。家族もまた、第2のがん患者である。がんは本人だけを侵食する病ではない。
判断、決断、不安、待つ時間――すべてが家族の人生に影を落とす。私の一手は、私一人の問題ではなかった。
友は黙らず、現実的に背中を押した
退院祝いの席を友人たちが設けてくれた。久しぶりの笑顔、冗談、普通の時間。そこで私は告白した。
「肺の手術を、もう一度やることになった」
一瞬、空気が止まる。だが誰一人、沈黙を選ばなかった。
「まだやれる」
「ここまで来たんだ」
「最後まで行け」
綺麗事はなかった。だが、現実を知る言葉があった。山師は孤独な職業である。しかし本当の勝負どころでは、独りではない。
若い頃、中央アジアの荒野で、「ここで引けば全て失う」と直感した瞬間が何度もあった。あの時、私は常に前に進んだ。
今回も同じである。相手が市場ではなく、癌であるだけの違いだ。
