3日間の逡巡――覚悟は沈殿してくる
悩んだのは3日間だけであった。理屈ではなく、感情と体と記憶を総動員した3日間である。眠れない夜もあった。
だが3日目の朝、腹が据わった。覚悟とは、決意ではない。沈殿して、底に溜まるものである。
占いに聞き、そして笑った理由
俺らしくはないが、四柱推命や手相占いにも聞いてみた。答えは曖昧だった。だが、それでよかった。腹が決まった後の占いは、すべて後付けに見えた。運命は占われるものではない。
選び取るものである。宿命は変わらないが運命は変えることができる。
向源寺へ――十一面観音に報告する
腹が決まれば、行く場所は一つであった。滋賀県長浜、向源寺。国宝・十一面観音像の前に立ち、私は報告した。
「もう一度、肺の手術を受けます」
「逃げません」
「今日を生き切ります」
十一面観音像に成功祈願をお願いした。
祈ったのは、成功だけではない。一瞬一瞬を生き抜く気力である。
山師の思考法――最悪を想定し、今日を生きる
私は半世紀以上、資源の世界で生きてきた。山師とは、未来を夢見る者ではない。最悪を想定し、それでも今日を選ぶ者である。
ステージ4を克服するとは、延命ではない。今日を生きる選択を、毎日更新することである。
結び――「まだ戦える」という現実
この原稿を書いている今、私は次の手術に向け、静かに準備をしている。恐れはある。だが、覚悟はある。ステージ4を克服する決心とは、勝利を信じることではない。今日を生きると決めることである。
私は、まだ戦える。だから、今日を生きる。
山師のがんファイターは、まだ終わらない。
