国防総省が日本政府に対し内々に、2014年までに普天間を閉鎖して辺野古に移転する期限を守れないと伝えたとする読売新聞の最近の報道に、レビン陣営による発表を重ね合わせると、実のところゲーツ長官は既に状況の真相を知っており、国防総省を旧来の立場からシフトさせつつあったことが分かるだろう。
当然、我々は現時点で最終結果を予想することはできないが、第2次世界大戦3年目の欧州情勢に関するウィンストン・チャーチルの名ゼリフを借りるなら、上記の展開は「これは終わりではない。終わりの始まりでさえない。しかし、これは始まりの終わりだ」という希望をいくらか与えてくれる。
もしかしたら善意をもってすれば、過去2年間の本当に「厳しい」断絶をもうすぐ乗り越えて、米国と日本は再び、沖縄で自動的に「自滅」しない具体案を交渉のテーブルに載せられるかもしれない。
菅首相は原発問題の本質に立ち向かえ
さて、菅首相にまつわる2つ目の大混乱に移ろう。5月8日(日)に日本は引き続き原子力を堅持すると述べながら、その2日後に、政府がすべての原子力発電推進計画を打ち切ることを望んでいるかのような劇的な表明をした時、首相は一体何を意味していたのだろうか?
これについては米国のニュース報道が少々風変わりで、菅首相が実行可能な代替エネルギーとして風力発電を提案したのが果たして本気だったのかどうか、はっきりしない。筆者は内心、皇居の庭園を含め(良いお手本を示すために!)、東京のすべてのビルの上に巨大なプロペラが並ぶ光景を想像して楽しんだ。
最新のニュース報道からは、首相は実際に原子力に対する日本政府の支持を撤回するつもりはなく、福島と仙台の大惨事の原因と将来必要な安全対策に関する徹底調査が行われるまで、現在計画段階にある14基の原子炉について予算を凍結するつもりだということが読み取れる。
言い換えると、首相は、2030年までに日本の電力供給の50%を原子力で賄う計画をよそに、首相自身と日本国民が本物の見解――すなわち、誠実な情報に基づく真の正確な見解――を得られるまで、1円たりともカネを出さない、と言っているわけだ。
米国で伝えられた最新のコメントは、首相の意図を明確にしているようだ。「我々は原子力エネルギーをもっと安全なものにし、再生可能エネルギーを推進するために一層努力しなければならない」と首相は語った。
いいだろう、彼は正しい。その決意に神の加護あれ、だ。菅首相が直面する問題、そして米国人が直面する問題は、WEDGE Infinityの先月のコラムで書いたものだ。つまり、単刀直入に言って問題は、原子力産業はプロフェッショナルな事業体として体質的に自身に真実を語れず、ましてや国民や政府には絶対に真実を伝えられないように思えることだ。
そして、隠蔽と嘘を重ねる生涯が、原子力業界の幹部と(本当の問題である)規制当局者の双方に一定の文化を生んだため、日本の首相が誰であれ、菅首相が誠意を持って定めた試練を乗り切れるかどうかは、根本的かつ基本的な疑問だ。
日本政府は一体どうしたら、真実を告げることを機能的に避けることに人生すべてを捧げてきた企業幹部や規制当局者から真実を引き出せるのか?
米国原子力業界にも日本と同じ構図
どちらから状況を抜け出すだろう?
これが日本へのあてつけだとは思わないでほしい。というのも、これとほぼ全く同じ状況が米国にも存在しているからだ。福島の大惨事以降、ニューヨーク・タイムズ紙は本当に役立っている。何しろ同紙は事実上、人が思いつく限りの疑問について調べ上げて報じるだけのプロのスタッフとニュース紙面を擁している。