WEDGE REPORT

2018年8月24日

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冷戦の終結による「国連の台頭」

 そういう国連でアナン氏は頭角を現していく。やがて国連幹部に登用。そのかじ取りを一身に担う場に躍り出る。時、あたかも冷戦が終了、新たな秩序の模索の中で世界中が揺れ動いた時だった。その激動の波に、国連もまた一葉の落ち葉の如くのみこまれていく。

 アナン氏の生涯で際立った輝きを放つのは、事務次長及び事務総長として活躍した1993年から2007年である。中でもブトロス・ブトロス=ガリ事務総長の下、PKO担当事務次長として過ごした93年から97年は国連が冷戦後の激動に翻弄された時だった。

 当時、世界は冷戦終了に沸き立っていた。恐怖の均衡がようやく終わった。力と力が対峙する世界に代わり、今度は国連が舵取りする番だ。冷戦期間中、安保理は有名無実だった。五大国に拒否権がある以上、安保理の麻痺は避けられない。しかし、それも終わった。ようやく、国連が活躍する機会を与えられる。

 高揚感に酔う中、当時のガリ事務総長は、野心的な改革を打ち出していく。中でも画期的だったのが、国連に強制力を与える提案である。

国連に圧し掛かる「超大国の圧力」

 世界には世界政府と呼べるものがない。だから、国連がいくら良い提案をしてもそれを強制することができない。この「強制力」の問題は国連が持つ宿命的な限界である。代わって登場するのが各国の主権、就中、超大国たる米国の意思である。

 つまり、国連は、自らが掲げる理想と米国が持つ力との間で絶えず板挟みにあう。しかも、実際は米国の力の方が圧倒的に強い。米国の軍事力と拠出金なしに国連ができることは何もない。国連が追及する理想は降ろしたくない。しかし、現実の力とカネを無視して国連の存在はない。如何に両者の間にギリギリの妥協を探るか。事務総長がこなさなければならないのは、単線思考では如何ともしがたい難題である。

 国連に与えられた武器はただ一つ、国際世論だ。これとてバカにはできない。何と言っても数がある。多くの国が一つの声でまとまれば如何に超大国といえども簡単には無視できない。しかし世論は世論、出来ることには限りがある。超大国からはひっきりなしに圧力がかかる。板挟みの事務総長は身も細る思いである。

 ガリ事務総長はそういう中で国連のPKOに強制力を与える提案をした。

 新たな装いをこらしたPKOがアフリカに送りこまれた。しかし、そこで待っていたのは無残な敗北だった。1993年のソマリアでは、PKOとして活躍中の米兵がソマリア兵に捕まり惨殺、市中を引き回され世界中に衝撃を与えた。1994年のルワンダではPKOが住民の大量虐殺を前に手をこまねいていたとして世界から非難を浴びる。そして、1995年、ボスニアのスレブレニツァの虐殺でもPKOはなす術もなかった。

 結局、PKOに強制力を与える試みは失敗。1995年、ガリ事務総長は「PKOに強制力を与えるべきではない」と立場を後退させざるを得なかった。そのガリ氏の下でPKOの実際の指揮にあたったのがアナン氏である。非難は当然アナン氏にも向けられた。後年、アナン氏はルワンダの悲劇を振り返り「別の選択があっただろうか。確かにあったかもしれない。少なくともやってみるべき価値はあったかもしれない」と言っている。

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