自らを選んだ米国に正面から楯突いたアナン氏
1997年、ガリ事務総長の任期満了に際し米国はその再任を拒否した。ガリは野心的すぎる、米国の言うことを聞かない。代わってアナン次長が事務総長に就任する。アナンは物静かで分をわきまえている。アナン氏のそつない言動が、米国がアナン氏を受け入れた一因とされた。
しかし1997年の事務総長就任後、アナン氏は「ただ黙って言うことを聞くだけ」の事務総長にはならなかった。
事務総長は国連と超大国の板挟みの中で、ギリギリの妥協点を探っていかなければならない。「ただ諾々と超大国の言うことを聞くだけ」との選択は、はなからなかった。しかし、超大国の意向を全く無視して事務総長が務まるわけもない。事務総長としてのアナン氏は、感情を表に出さず、常にスマートな言動を繰り返しつつも、板挟みの中で人知れず苦悩の日々を送っていたに違いない。
特に、2001年の9.11後、米国はとみに単独主義的傾向を強めていく。2003年、米国が新たな安保理決議を得ることなく一方的に始めたイラク戦争に対し、アナン事務総長は「イラク戦争は違法」と強く抗議した。かくて2002年からのアナン事務総長第二期目、国連と米国との関係は緊張を孕まないではいられない。事務総長の側近は、いつアナン氏が辞任すると言い出すか、心配が絶えなかったという。
現実を知るからこそ、理想に近づくことができる
アナン氏の第二期目、世界は冷戦終了後のユーフォリアから覚め、改めて米国の力の大きさを認識した。しかし、現実を認識することは理想を放棄することではない。むしろ現実の認識の中でこそ、理想に向けたしっかりとした足取りを踏み出すことができる。事務次長の時に手痛い失敗を被ったアナン氏は、そのことを改めて感じたに違いない。アナン氏の下の国連にはそういう確かな足取りが見てとれる。
激動の中に翻弄された国連、その中にあって、物静かに洗練された立ち振る舞いで国連を率いたアナン氏。激動の国連の舵取りをするには向かなかったという人もいる。アナンは人を信じやすい、独裁者の表の顔だけでなく裏の残忍さも見なければならないのに、「世俗の法王」は表の顔だけ見て騙される、激動の国連には豪腕の事務総長こそがふさわしい。
しかし、事務総長が国連の理想と超大国の力との板挟みの中にあることは忘れてはなるまい。目立った言動や立ち振る舞いは、一見、華やかで世間受けしやすく、国連の存在を世間に印象付けるかもしれない。しかし、「板挟み」の事務総長が腕力にものをいわせ、理想と現実の中で理想の方に大きく舵を切ったらどうなるか。アナン氏はそういう中で国連を沈没させることなく、粘り強く妥協点を探っていった。「スマートな」舵さばきは、はたから見れば物足りないかもしれない。しかし、「板挟み」の国連にそれ以外のどういう選択肢があっただろう。
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