現実を知ればこその「日和見主義者」
しかし、急進的な変革は反動を呼ぶ。改革に反対する者は「コントラ」を組織、政府に対抗していった。やがてサンディニスタ率いるニカラグア政府とコントラは武力衝突に突入、国内は内戦状態になっていく。治安は悪化し、国土は荒廃。コントラ支持の米国による経済制裁もあり、経済は極度に疲弊、一時、6万%に及ぶインフレが国内に吹き荒れた。
混乱の中、1990年、オルテガは選挙で敗北、代わって反体制派のヴィオレッタ・バリオス・デ・チャモロ氏が大統領になる。野に下ったオルテガ氏は、しかし、ここで諦めるような男ではなかった。あらゆる手練手管を弄し勢力の拡充に奔走、政権復帰の機会を狙う。とうとう1999年、自由連合のアルノルド・アレマン大統領との間に連携関係を樹立、政権与党の側に比重を移していく。
人は、こういうオルテガ氏を究極のオポチュニスト(日和見主義者)と呼んだ。何と言っても社会主義革命を主導した当人が自由主義者と手を結ぶ。しかし、本人にはそれはむしろ誉め言葉に聞こえただろう。既にオルテガ氏は50才を超えた。政治が、清く美しい理想だけでどうにかなるものでないことを悟るには十分すぎる年齢だ。かくてオルテガ氏の人生第二幕は権力を求め政治の世界を泳ぎ渡る政治巧者の色を強めていく。
そして2006年、大統領選挙で38%を得票、見事政権に返り咲いた。ただし、この第三幕のオルテガ氏に昔の面影はもうない。巧みに権力の間を泳ぎ廻りようやく手に入れた大統領の座である。どんなことがあっても手放すわけにはいかない。権力に執着し、その維持の為なら良心の呵責を感じることなく何でもやる。
経済界と持ちつ持たれつの関係を作り上げ、国民は軍と警察で締め上げる。国中に監視の目を行き渡らせ、怪しいと目された者は容赦なく引っ張る。しかし、次第に独裁の色を強めていくオルテガ大統領に対し、社会の上層部は見て見ぬふりをした。何と言っても、大統領は我々の利益を守ってくれる。ビジネスには手を付けない。ここでオルテガ氏が任期満了を迎えれば、その評価は、「権力志向の強い革命家崩れ」で終わったかもしれない。
しかし、事態は今年4月18日以降、思わぬ方向に展開していく。
オルテガの誤算
オルテガ大統領が権力を維持できたのは、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領の援助によるところが大きい。チャベス大統領は自らの影響力拡大を図るべく、潤沢な石油資金を周辺の左派政権にばらまいた。巨額な援助資金がニカラグアに流入する。しかしそれも長くは続かない。このところの原油市場の低迷が次第にこの資金の流れに影を落としていく。とうとう、昨年はベネズエラからの援助が止まってしまった。
オルテガ大統領として、それまで寛大に振る舞ってきた福祉政策を切り詰めるしかない。加えて、昨年11月には自動車に3000%の課税を賦課、今年3月には電気料金引き上げも決めた。更に、年金保険料の引き上げを実施するに及び、とうとう国民の忍耐の緒が切れてしまった。4月、マナグアに大々的なデモが組織され、各所で道路が封鎖された。これに対し、オルテガ大統領は強権を発動、先頭に立った政府系民兵はデモ隊に容赦なく襲いかかり、これまでに多数の死者を出す大惨事に発展した。
もはやオルテガ大統領の念頭に国民生活はない。あるのは権力の座を如何にして守るか、それだけだ。権力に歯向かうものは容赦なく弾圧する。退陣を求める声は随所に聞かれるが、大統領は一切受け付けない。それどころか、妻のロサリオ・ムリーヨを後継に据えさらに延命を図ることを画策中という。オルテガ氏自らが打倒したソモサ氏が、結局、米国、パラグアイと亡命先を替える中、最後は暗殺され世を去ったことが頭をよぎるのだろうか。もはやオルテガ大統領にとり、権力にしがみつくことだけが目標となってしまったかのようである。
今、ニカラグアは小康状態にあるが、いつまた混乱の火の手が上がるか、国内は不気味なまでに静まり返っている。