止まった歯車を動かしたのは、フラットシェアをした6歳年上の旧東ドイツ出身の青年だった。広告代理店に勤めていたが経営学を勉強するために大学に戻ったという、クリスティアン・ディーチ。日本語はもちろん英語もしゃべれないドイツ人と、ドイツ語がまだ片言の日本人の共同生活である。
「デュッセルドルフに着いて最初の日、決めていたフラットの鍵をもらってドアを開けたらディーチがいた。言葉は通じなかったけれど、天気がよくてビールでも飲もうということになったのを覚えています」
片やアーティストを目指し、片や起業家を目指す。交わらないはずのふたりを結び付けたのは、たまたまイギリスで開催された「国際絞り会議」の展示用にと父が持ってきて村瀬が預かることになった、有松絞りの作品だった。
「それを見たディーチが、これは何だと聞くから、実家で作っている絞りというもので、すべて手仕事なんだって説明したら、興味を持ったようで、やたらと聞いてくるようになったんです。ビジネスをやりたいと探していた何かはこれかもしれないと思ったみたいで」
聞かれるから、幼い頃からなじんでいた有松絞りの歴史や技法を説明する。忘れていた有松絞りが蘇り、ディーチの反応を通して客観的に有松絞りを感じ直す。内側から見過ぎて、秘められたポテンシャルよりも縮んでいく現実ばかりを見ていたのではないかと気づかされた。
「よく、さすが有松ですね、と言われますが、これってすでにできあがった評価、伝統の中の評価ですよね。評価も伝統も知らない彼がピュアに興味を持ち、すごいと感動していることで、僕は生まれて初めて有松絞りを面白いと思ったんです」
ディーチが有松絞りとの出会いで自分のビジネスの方向を掴みかけた頃、村瀬もまた、ベネチア・ビエンナーレ※で大きな揺さぶりを受けていた。
(※2年に1度イタリアのベネチアで開催されるアートイベント)
「ある展示を見て衝撃を受けました。ジャンルや年代など関係なく、新しいものと古いもの、洋の東西も、無名も有名も、洗練も混沌も隣り合わせにごちゃごちゃに展示されていて、でも全部がすごいエネルギーでぶつかり合いながら美という土台の上で調和を保っている。美はアーティストが生み出すもので、伝統とか古いものは別のカテゴリーだと僕は思っていたし、伝統の中で生きる可能性も魅力も感じられなかったから現代アートに行こうとしたけれど、つながっているんだと感じたんです。伝統工芸がコンテンポラリーアートに調和することができ、それを美しいなあと思っている自分がいました」
外側からの新鮮な興味と内側から殻を破るような発見が、偶然にも有松絞りの上で重なって、村瀬とディーチは日本の伝統技術をヨーロッパの今に生かすためのビジネスパートナーになったのである。