旧帝大時代から日本の昆虫学の拠点として、昆虫の生態や進化のメカニズム解明の研究をリードし続けてきた京都大学。吉田山の深い森と向かい合うような吉田キャンパスの門をくぐると、古木に囲まれて農学部総合館がある。2階に上がると、昆虫の写真や絵や模型が、ずらっと並ぶ研究室のドアを飾っている。その一室が学術博士・土畑重人(どばたしげと)の研究室だ。
土畑が所属するのは日本生態学会、日本動物行動学会、日本進化学会、個体群生態学会、日本応用動物昆虫学会。そこから、どんな研究をしているのか想像しながら中に入ると ……床に置かれた飼育箱が目に入った。のぞき込むとたくさんのアリが動いているが、床にアリの姿はなく、なぜか全部が箱の中に行儀よく留まっている。
「箱の壁面に滑り剤を入れているので、外には出ません。でも、誰かひとりが登れそうな道を見つけるとみんなで出てきちゃうこともたまにはあります」
どれか1匹ではなく、誰かひとりと言った。何気ないひと言に昆虫たちへの愛が感じられ、研究対象であるアリを見る目が優しい。
土畑の研究テーマである「社会性昆虫を用いた『公共財ジレンマ』現象の総合的実証」は、2014年度の日本動物行動学会賞を受賞している。用いられた社会性昆虫はアリで、ヒトの社会において助け合いに内在する脆(もろ)さとして知られている「公共財ジレンマ」の板ばさみ状況が、アリの世界でも存在することを実証したということになる。
「社会を作るという点では、バクテリアやアリなども人間と共通するところがあって、なぜ社会を作るのかというのは生物学的には中心的な問いでもあるわけです。社会を作るということは何らかの意味で自分が損をしなければならないところがある。人間の社会でいえば税金を払わなければならないとかね」
個々の協力によって形成され、誰もが利用できる物やサービスが公共財なのだが、中には協力をしないで恩恵にだけ与(あずか)ろうとする不埒な者が出てくる。しかし、ただ乗りしようとする者が多くなると、公共財は成立しなくなる。自分の利益のために協力しないのと、社会の利益のために協力するのと、どちらが最終的な利益につながるのか。それが公共財ジレンマで、アリの社会にも存在するというわけだ。