JR、東京メトロ、東京臨海高速鉄道が乗り入れる新木場(しんきば)駅に降りると、駅前には材木商の事務所や製材所が団地のように並んでいる。その一角に、江戸時代から続く船大工の9代目にあたる佐野末四郎の仕事場があった。屋根と壁しかなく、寒風が吹き込む冬はストーブだけでひたすら寒く、冷房が効かない夏はとてつもなく暑そうな作業場の入り口に、「SANO MAGIC」と書かれた小さな看板が。海外の船舶関係の雑誌が、佐野の造る木造船の性能と美しさに驚きを込めて贈った言葉だという。
木場は材木の貯木場という意味。江戸時代の明暦の大火以降、明治、大正、昭和まで隅田川河口の深川にあり、各地から集まった木材は川並鳶(かわなみとび)たちが木遣(きや)り歌とともに桟(さん)取りして水の中で貯木、乾燥させてきた。しかし、周辺の海が次々と埋め立てられて姿を消していき、1981年には木場のすべての材木業者たちが現在の新木場に移転した。海が消え、川並鳶が消え、木遣り歌も聞こえない。貯木場に浮かぶ木材もない。時々静寂を破ってトラックの音だけが響く新木場の姿は、これまでたどってきた歴史の厳しさを無言で伝えてくるようだ。
1958年生まれの佐野は、移転前の旧木場で幼少期を過ごした。
「旧木場は、目の前が海だった。材木といえば材木問屋が仕切っていたけど、今は大手の建設業者は問屋を通さない。丸太で海から運ぶ時代でもない。流通事情が変わったからね。かつては造船所だけで9軒もあったんだけど、もう戦前のようなやり方では船を造れなくなった。船の注文もないしね」
作業場に入ってまず目に飛び込んでくるのは、完成間近の木造自転車。そして正面に並んだ木製のスピーカーからは、生の楽器の演奏を間近で聴いているような音の波動が伝わってくる。殺風景な作業場が、目をつむればコンサートホールに感じられる。
「船は、エンジンからスクリューシャフトに動力が伝わり水を切って推進力になる。同じ50馬力でも波が立たなければ前に進む力が高まる。空気の波も同じで、波をどうコントロールするか。船の技術がスピーカーに生かされてるんだよ」