2024年12月22日(日)

この熱き人々

2018年1月22日

室町時代から続く伝統芸能・狂言の家に生まれ、狂言師という宿命とともに生きてきた。古典芸能の枠を超え、自らの存在理由を問い続けた日々を糧とし、誰も見たことがない美の創造に挑む。
 
 

 午後の日差しがたっぷり注ぎ込む南向きの稽古場。温まってやわらいだ空間に野村萬斎がすっと現れ、松の描かれた鏡板の前に立つと、空気が音をたてるように引き締まっていくのが感じられる。萬斎そのものが発しているオーラなのだろう。一気に高まる緊張感の中で、少しの弛緩も許さないような立ち姿は、背筋が着物を通して感じられるようで思わず居住まいを正してしまう。

 
 
 

「背中に物差しが入っているようだとよく言われますね。体幹がいかにしっかりしているかが芸の道では大事。動きの中心ですし、声を出すにも幹がしっかりしていないと。僕はやせ型ですが実はインナーマッチョなんです」

 狂言における立ち方は「構エ」という型で、膝はやや前に、腰は骨盤を下方に向けるように後ろに引き、胸は張り肘は引くという「く」の字の連続のような姿勢で、身体をやや前傾させる。この姿勢のまま移動することを、「運ビ」という。衣装の中で身体は実はジグザグになっていて、ジグザグのまま留まり、平行移動する。狂言の家に生まれた男子は、これを物心つくかつかないかの頃から徹底的に仕込まれる。

 「超高層ビルのようにいろいろな方向からのベクトルを吸収し、前にも後ろにもつり合って揺れながらも倒れない。あえて曲がってすべてをプラスマイナスゼロにしていく。垂直に一直線に立つ絶対的なものより、あっちこっちに揺れそうになりながらも、そのあわいに中心を据えてブレないで立つという感じでしょうか」

 揺らぎの中であわいに立つ。今と昔の間。人と人の間。古典芸能と現代芸術の間。制約と自由の間。宿命と自我の間。さまざまなあわいに立ちながら自分の軸を定めて決して倒れない。「構エ」の姿勢の話がそのまま萬斎自身の姿に重なるように感じながら聞いた。

 2017年の映画「花戦(はないく)さ」で秀吉を花でいさめる初代池坊専好(いけのぼうせんこう)役を演じた。「のぼうの城」「陰陽師」でも強烈な印象を残している。「シン・ゴジラ」ではモーションキャプチャーによるゴジラ役を務めた。テレビではNHKの大河ドラマ「花の乱」や連続テレビ小説「あぐり」、「にほんごであそぼ」で、狂言と縁のない人たちにもその名前を浸透させ、舞台ではシェークスピア劇などに構成、演出、主演とさまざまな形で取り組む。世田谷パブリックシアターの芸術監督としてもすでに15年、話題作を発信し続けている。同時に、20歳の時から毎年2回、「狂言ござる乃座」という狂言会を自ら主宰して30年以上続け、新作狂言にも挑み、年間300回は狂言・能の舞台に立っているという。超人的という言葉でしか言い表せない多彩なベクトルの方向と太さなのである。


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