「演出家、俳優、振付師。名前を付けられればきりがないけど、僕の根幹、アイデンティティーは狂言です。いろいろな形で自分を表現できるのが狂言師であり、中心軸は常に狂言に置くようにというのが父の教えでした」
謡(うた)い舞い演じる。シンガーでもあり、ダンサーでもあり、役者でもあるのが狂言師。オールマイティーの強さが確かに狂言にはある。
「とはいえ、無意識のうちから稽古を始めて、アイデンティティーの揺らぎはずっと抱えて生きてきました。本当にこの道でよかったと自覚的に狂言師としての自分を確立できたのは、5、6年前くらいかなあ」
もうすぐ萬斎は52歳になる。あわいで苦しんだ葛藤の日々は、あまりに長い。
狂言を継ぐ者として
祖父・六世野村万蔵。父・二世野村万作。2人の人間国宝が守る六百有余年の伝統の世界が待ちに待った男の子、しかも姉2人妹1人の4人きょうだいのひとり息子として、生まれながらに後世に狂言を継承させる役目を担い、期待された命を生きる。祖父や父の喜びと安堵を生まれたばかりの無意識下に注がれながら、狂言の最高峰の芸と間近に接し自然に五感に吸い込む贅沢な日々。まだ他の家との違いも気づかぬ3歳で初舞台。狂言は猿に始まるともいわれる「靱猿(うつぼざる)」の子猿を演じた。シテ(一曲の主役)の大名は万蔵、アド(シテの相手役)の猿曳(さるひき)は父の万作である。
普通は2歳も3歳も遠い記憶の中で曖昧なものだろうが、狂言の世界でくっきりその足跡を残した3歳児の重い一歩はどのように萬斎の中に残っているのだろう。
「猿の面をかぶらされて幕の中で待っている時は暗くて、幕が上がるとぱっと目の前が明るくなり、明るいところに行くんだって感じたことは覚えてますね。終わるとウルトラ怪獣とかご褒美(ほうび)がもらえてうれしかった」
視覚的な明るさと無邪気な喜びで始まったものの、次第に自我が目覚めてくると、なぜ自分は狂言をやらなければいけないのかという疑問や抵抗感が生じてくる。かといって、誕生と同時に仕込まれてきた狂言はすでに細胞の隅々まで確かに息づいている。萬斎の言葉を借りれば、プログラミングは着実に完成に向かっていた。
「自分を表現したいという思いは強かったけれど、はたしてそれが狂言なのかと思って、中学、高校の時はバスケットボールやロックバンドに夢中になったりしてましたね」