制約と自由のあわいに、惑うことなくぶれることなく立っている姿が浮かぶ。中心軸の狂言では、18年秋にパリ公演が控えている。父・万作と萬斎、18歳になったひとり息子裕基(ゆうき)と三代で「三番叟」を演じる。
15年前、3歳の裕基が「靱猿」で初舞台を踏んだ時。かつて父が演じた猿曳役を務めた萬斎は、子猿に向き合い、靱を作る皮のために猿を殺さなければならないと言いきかせる。その時、萬斎の目から一筋の涙が流れた。
「これから自分と同じ苦労をするのか、辛い運命を与えているなあって思ってしまったんですかねえ」
そして3歳だった息子は、小学生になって萬斎に問うた。なぜ自分は狂言をやらなければならないのか。萬斎はしばしの沈黙の後、「それは自分にもわからない」と声を絞り出した。悩みながら、それぞれが自ら答えを探るしかないことなのだろう。ただ、息子には狂言師はこうあるべきだという本質を見極めてほしいと、かつて萬斎が語っているのを読んだことがある。見極めるべき狂言の本質とは萬斎にとっては何なのだろう。
「父の教えをそのまま言うのは潔くないんだけど、父が繰り返し言っていたことがあって、その意味がわかるようになってきました。狂言は人間の滑稽(こっけい)さを描くものだけれど、舞台芸術であり表現である以上、美しくあれということに父はこだわっていた。世阿弥が〝珍しい〟という言い方をしていることに通じるもので、見たこともない感動やこれまでにない心のときめき。お客さまの美意識に確かに訴えるものが美しさなのだろうと思います」
時代の風にさらされ、浮き沈みを繰り返しながら長い時代を生き抜いてきた伝統芸能は、名人の親、名人へと向かう子、未来を託せる孫と三代が舞台に揃った時期が、最も風を受けて高く上れるという。万蔵、万作、萬斎の三代から、万作、萬斎、裕基の三代へ。六世万蔵が掲げた「江戸前狂言」を継承する野村家は今、まさに充実の只中にある。
岡本隆史=写真
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