1932年、能登半島の珠洲(すず)郡内浦町(うちうらまち)(現鳳珠<ほうす>郡能登町<のとちょう>)で生まれた農口尚彦は、今年の12月で86歳になる。祖父も父も、能登杜氏として酒を造ってきた。3代目の農口も、16歳で酒造りの現場で働き始めてから70年。日本酒一筋の人生を歩んできた。
全国新酒鑑評会では12年連続金賞受賞の快挙を含め27回も金賞に輝き、途絶えかけていた山廃(やまはい)仕込みを復活させ、70年代以降、日本酒離れが進み始めた頃には精米歩合を高めた吟醸酒をいち早く広めている。能登杜氏四天王、現代の名工、酒造りの神様……数多くの言葉で讃えられる日本酒界のレジェンド、伝説の人である。
2015年、農口は酒造りの現場から引退している。83歳。酒造りは半年間に及ぶ重労働だから、誰もが仕方がないと思える年齢だ。ところが17年の晩秋、2年のブランクを経て再び日本酒を造り始めた。85歳の現場復帰である。
小松駅から車で20分ほどの小松市観音下町(かながそまち)。周囲を田畑や山に囲まれた「農口尚彦研究所」は、鉄筋造り2階建てで、ギャラリースペースやテイスティングルーム「杜庵(とうあん)」を備え、ガラス張りの仕込み室や圧搾室などが見学できるようになっている。従来の日本酒の酒蔵とは全くイメージが違う。
農口の名前を冠したこの斬新な酒蔵は、農口の酒を愛する地元の事業家の出資に加え、彼の酒をもう一度飲みたいと熱望する多くのファンからの後押しによって、昨年完成。酒米の収穫が終わった11月11日から仕込みが始まり、純米酒、本醸造酒、山廃純米酒、山廃吟醸酒、純米大吟醸酒の5品種の酒が、年末から今年3月にかけて次々と誕生したのである。
「家にいると、何もしたいことがない。考えることも何もない。ただ食べてテレビを見て寝ているだけや。頭の中は酒のことしかないからね。そこに手紙やファックスでもう一度ワシの酒を飲みたいと言うてくれる人がおってくれて、ワシには酒しかないと思ったんですわ」