使う側のことを想像して作る
ディーチと会社を立ち上げた時、村瀬は26歳。一度有松に戻って、そこから初めて有松絞りを本格的に勉強した。
「まさか26歳になってから有松に戻り、縫いや絞りを学ぶことになろうとは思ってもいませんでした。失敗を繰り返しながら、手と指の力の入れ方を体で覚えていくしかありませんでした」
村瀬が技術を身につけたのは、ドイツでデザインして見本を作るため。ビジネスの中心はあくまで絞りの技術に定めて動かさず、それぞれの国や地域に違和感なく溶け込めるデザインを展開していく。村瀬は、風通しのいいデザインを常に意識しているという。
「正面からだけ捉えて面白いものを作っても、平面的な見方になってしまう。風通しというのは、背後の風景も想像して違和感なくなじめるもの。技術を生かし、ヨーロッパの人がヨーロッパの風景の中で自然に使えるものを目指しました」
試作品をドイツで作り、商品は有松に発注する。有松絞りには長い歴史の中で完成させてきた型が100種類以上もある。それが有松のベストであっても、そこにこだわり過ぎると世界に通じる風は吹かなくなってしまう。
時には、村瀬の発注したデザインに「こんなものは有松じゃない」という職人たちの反発もあったという。歴史が培ってきた技に全力でこだわるのが職人である。そんな反発の矢面に立ってくれたのは父親だった。
最初はストール数本の小さなコレクションから始め、世界が注目するようなセレクトショップにアポなしで売り込みに飛び込む。海外で評価されるまでは、日本での販売はしなかったという。木綿、浴衣という有松絞りに定着したイメージを、海外からの逆輸入という形で一度自由にしたかったのだろう。
「絞りは2次加工ですから素材は自由なんです。ウールなどニット生地にも生かせますし、絞りの独特の凹凸の形を取り入れたインテリア製品も、伸縮性のあるポリエステル生地を使えば可能になります」
有松絞りが内に秘めた力は現代のヨーロッパで徐々に評価され、2013年には、柄ではなく絞りの凹凸を生かした無地のテキスタイルをフランスのハイブランドがオートクチュールコレクションに採用して話題になった。
日本からの発信は、「どこで、誰が、どんな思いで作っているのか」という、ものづくりのストーリーは打ち出しても、「どこで、誰が、どのように使うか」という使う側の視点が見えにくいと村瀬は指摘する。伝統や日本を掲げるのではなく、気に入って手に入れてみたら伝統が息づく日本の製品だった、という流れを目指したいという。