2024年4月21日(日)

解体 ロシア外交

2011年7月28日

 ウクライナは言うまでもなく、チェルノブイリ事故への対応も続けており、一方で、閉鎖された同原発の代替として計画されたフメリニツキー2号機とロブノ4号(各VVER-1000)も2005年及び06年に各々商業運転を開始している。なお、ウクライナは他国からの支援要請を断り、国内での資金調達により自力でこの2基を完成させた。ウクライナは、エネルギー安全保障と国家の独立性を向上させるために、核燃料の調達など、ロシアへの依存度を極力減らしていくことを課題としてきたのである。

 しかし、2010年にロシアに深く配慮したバランス外交を展開するヤヌコビッチ政権が誕生したことにより、原発政策に変化も見られている。たとえば、原子力発電、機器製造及び核燃料サイクルの各事業を軸に両国の原子力部門を統合するというロシア側の提案に対しては拒否を表明したものの、核燃料の長期契約や原子炉増設などの個別の分野ではロシアとの協力関係を再構築する動きも見せている。原発はロシアとウクライナの関係のカギを握る重要なファクターの一つと言えそうだ。

アルメニアは世界一危険な原発をもつ地震国

 国境の約80%を封鎖され、陸の孤島となっているアルメニアも、原発に依存し続けている(資源を)「持たざる国」である。そして、同国のメツァモール原子力発電所は現在、「世界一危険な原発」として知られるようになった。*注 欧米諸国は勿論、隣国アゼルバイジャン、グルジア、そして同原発から16キロメートルに国境を有するトルコは閉鎖要求を強めている。

 メツァモール原発はソ連型軽水炉(VVER-440)で、1号機は1977年から、2号機は80年から商業運転を開始した。アルメニアは地震が起こりやすい土地柄のため、震度8までの耐震設計は万全であったが、1988年12月のスピタク大地震を機に、ソ連は同原発を停止し、他のソ連の6か所の原発建設計画も放棄した(ただし、同原発は地震の被害は全く受けなかった)。

 アルメニアは、1988年頃から1994年まで、アゼルバイジャンとのナゴルノ・カラバフ紛争も抱える中、6年半、電力不足で困窮したため、ついに2号機の操業を再開したのである。アルメニアの原発は「格納容器」を保持しないというチェルノブイリ原発との共通点を持っており、欧米諸国は再開に反対し、「再開は時限的」という前提で妥協が図られた。そして、EC(後、EU)、米、仏、露、国際原子力機関(IAEA)などが技術支援をし、2004年までに閉鎖するという条件で、EUは1999年末に資金援助を約束した。

老朽化した原子炉一基に
電力の約半分を依存

 だが、2004年までに同原発は閉鎖されず、EUは原発の即時閉鎖のために2億ユーロの資金援助を申し出たが、アルメニア側はそれを拒否した。何故なら、アルメニアは、(1)代替電力源なしでの原発閉鎖は不可能、(2)IAEAの勧告に従い、約1億3千万ドルをEU、米、露などの支援を得て、安全対策を1400点ほど講じており、さらに(当時から)2年以内に2千500万ドル相当の安全対策を施す予定である、と主張したからである。実際、同国の総発電電力量に占める原発のシェアは43%であり、代替電力源なしでの原発閉鎖は同国にとって極めて大きな打撃となる。なお、老朽化した原子炉一基に電力の半分近くを依存する国は他に類例がない。

 そして、アルメニア政府は2007年4月に今後の原子力開発計画を発表し、2号機の運転を継続しながら、新規原発の建設を進めるとし、2009年にはロシアとジョイント・ベンチャーを設立して、現在、新世代の大規模なロシア型軽水炉「VVER 1000」を50億ドル(約4200億円)かけて着工する計画を進めている。新原発は2017年までに国際基準を満たした形で完成させるとのことだが、建設予定地が地震多発地帯であるため、反対の声が多いのも事実だ。

*注:詳細は、拙稿「世界でもっとも危険な原発、アルメニア原発」(http://webronza.asahi.com/synodos/2011051300002.html)を参照されたい。

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