もちろん、風力発電だけで良いという話ではない。再生可能エネルギーは、常に変化する自然環境からエネルギーを捻出しなければならないゆえに、一種類で人びとの活動すべてを請け合うようなものではない。火力、原子力、水力が主流だったこれまでも、「エネルギーのベストミックス」の重要性は言われてきた。再生可能エネルギーの普及率が高まれば、ベストミックスはますます重要な課題となるだろう。
これまでの半導体技術や太陽電池技術の蓄積を活かし、太陽光発電に再生可能エネルギーの一翼を担わせる。これは、もちろん今後も続けていけばよい。
ただ、筆者が主張したいのは「日本は太陽光発電だけに力を集中させるべきではない」ということだ。太陽光発電に傾注するあまり、“真の実力”をもつ別の再生可能エネルギーがその力を発揮する好機を失ったとしたら、それこそ国の大きな損失になる。世界が風力発電の技術を高め、風力発電の普及に向けた施策を次々と打つ中で、日本は太陽光発電の技術のみをせっせと高め、太陽光の普及のみを考え続ける。その結果、世界に大きく遅れをとる。そんな未来を迎えてはならない。
“農耕型”を育てた先に
未来の繁栄はある
火力や原子力と比べてみると、再生可能エネルギーは、とても貧弱で効率の悪いエネルギーである。風、光、生物、水、熱、波……どの再生可能エネルギーをとっても、火力や原子力のように効率的に大量のエネルギーを捻出するのは、物理的に難しい。
「人間が使えるエネルギーを得る」という行為を科学技術の視点から考えてみれば、原子力や火力を利用するという選択が合理的であるのは間違いない。科学者には、「原子力や火力は効率的で合理的だ」という主張を変えない人もいる。ある意味、当然のことだろう。
しかし、前出の石原氏は、そんな合理的な“旧来エネルギー肯定派”に対しても異を唱える。「これまでのエネルギー利用は、“狩猟型”だった。一瞬で動物をしとめて大量のカロリーを得るように、発電所で一挙に大量のエネルギーを獲得する。しかし、狩猟型社会では増大する人口を支えることができなかった。これからもエネルギーの消費量が増えていくとすれば、そのエネルギー消費社会を支えるのは、やはり“農耕型”の再生可能エネルギー利用であるにちがいない」。
人間は、自らの選択で狩猟型社会から農耕型社会に踏み出し、その結果、繁栄を手に入れた。おなじことが、これからのエネルギー社会に求められている。未来の繁栄を手にするかしないかは、現代を生きるわれわれ自身の選択に掛かっている。
漆原次郎(うるしはら・じろう)
1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、エネルギー・環境分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。早稲田大学大学院科学技術ジャーナリスト養成プログラム修了。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』など。
*記事2ページ目「~利用可能なエネルギーは3600万キロワット。」とあったのは、正しくは「~利用可能なエネルギーは4800万キロワット。」でした。お詫びして訂正致します。 [2011/08/31 13:40]
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