おおた:大学受験に臨むご家庭でも、「何を根拠にそう言うのだろう?」と尋ねたくなることがあります。
小川:たとえば、どんなことですか?
おおた:「いやあ、うちは特別なことは求めてないんですよ」というひと言がくっつくんですね。たとえば、「いやあ、うちは高学歴とか求めてないんですけど、最低でもGMARCHくらいには」というふうに、GMARCHが当たり前に達成できる目標であるかのように捉えているんです。それが大学のレベルのことだったり、「最低でも英語だけは」というふうに能力についてだったり、内容はいろいろですけど。そうしたことを理想を持つのはいいのだけど、それが当たり前に達成できる理想だと、親御さんが思い込まないほうがいいと感じることはよくあります。
小川:どう対応されるんですか?
おおた:相談の中でそういう話が出てきたのであれば「あ、そうなんですね、最低でもGMARCH……ですよね」と受けて、「うん、最低GMARCH……」とオウム返ししてあげるだけでも、「あれ? 最低でもGMARCH……って、なんでそう考えたんだっけ??」と、ハッと気づかれる方もいらっしゃいます。そこで初めて、わが子をちゃんと見ることに意識が向くという感じですね。話が堂々巡りになっても、その対話中には気づかない方もいます。気づかないときは、まだそのときじゃないんだなと思って聞いています。でも、一週間後に「あれ?」と気づく方もいるかもしれない。僕の場合は、そういう関わり方ですね。
小川:中学、高校、大学のどの段階の受験でも同じですが、子どもが「こっちが面白そう」「こっちが好き」という方向性が基本にまずあって、親はそこに触れさせてあげたいから動くという順番でしかありえない。
おおた:特に中学受験では、わが子をいい学校へ行かせたいという思いから、親御さんがお尻を叩いて勉強させても当の本人がつぶれてしまったのではトライした意味がなくなってしまいます。偏差値5ポイントの違いにこだわるのは親のエゴかもしれないということに、気づいてほしいと思います。『中学受験「必笑法」』(中公新書ラクレ)で一番言いたかったことは、結果にかかわらず、挑戦してよかったねと親子で最後に笑える中学受験にしましょうということです。中学受験をする過程で、子どもは確実に成長していきます。その姿を見守りながら、素直に「こんなにがんばって、すごいなこの子!」と思える日常の先に、納得できる結果が待っているはずなんです。
小川:本当にそうですね。今、2020年に大学受験が変わることがトピックスとして取り上げられることが増えていますが、受験制度の変化に目を奪われる暇があるなら、わが子を見ろ、と。そこに立ち戻ってほしいですね。