小野氏のように、戦力外通告を受け、果敢に異業種への転身に挑戦した元選手は少なくない。元西武外野手だった大崎雄太朗氏は、17年に引退すると、再就職の世話を申し出た球団や球界関係者の厚意をあえて断り、独力で転職先を探した。自ら会社四季報を調べて有望な企業、自分の能力を生かせそうな職種を検討し、自分なりに勉強と研究を重ね、M&Aやコンサルティング関連の企業に入社しようと決断。自分で書いた履歴書を携え、実に30数社を回ったという。その結果、YCP Japanというコンサルティング会社に再就職を果たした。
誰の伝手も頼らず会社訪問から再出発
大崎氏は高校時代、常総学院2年生で春のセンバツに優勝したほどの選手だった。青学大でも1年生からレギュラーとして活躍し、06年秋のドラフト6位で入団した西武で10年間プレーし、444試合で打率2割5分7厘の成績を残している。それだけの実績がありながら、33歳で球界を離れると、誰の伝手も頼らず会社訪問から再出発したのだ。
意外な転身として注目されたケースでは、公認会計士になった元阪神投手・奥村武博氏もいる。1997年秋のドラフト6位で阪神入りするも、一度も一軍で登板することなく2001年に僅か4年で引退。球団に打撃投手の仕事を斡旋されたが、これも1年で解雇となった。小野氏が言うように、職員やスタッフになっても「切られるときは切られる」のである。
その後、飲食業の世界に進もうと、友人の経営するバーでアルバイトをしながら、約2年間調理師学校に通って免許を取った。が、これが本当に自分に向いている職業なのか、改めて思い悩むようになる。
そうした最中の04年、当時つきあっていた彼女(のちの夫人)が、1冊の資格のガイドブックを買ってきた。「この中に何かひとつぐらい、あなたに合う資格があるんじゃない」と言われて一念発起。このころ、制度上高卒でも取得可能になった公認会計士を目指す。勉強を重ねては落第を繰り返し、くじけそうになるたびに彼女に励まされて9年後の13年、ついに悲願の資格を取得した。
奥村氏はこの経験を『高卒元プロ野球選手が公認会計士になった!』(洋泉社)という本に著し、様々なメディアで取り上げられた。現在は会計士として働く傍ら、自分と同じ元プロ野球選手の再就職活動を支援する活動も始めているという。
プロ野球では今年も、歴代最高タイの年俸6億5000万円を勝ち取った巨人・菅野智之をはじめ、スター選手が文字通り「億万長者」となった話題が連日のように伝えられた。が、そのしわ寄せも年々顕著になっており、小野氏が指摘したように、最近では戦力外通告を受ける選手も低年齢化している。
そんな厳しい世界にいつまでもしがみつくより、早いうちに別の人生を選択したほうが得策だ。そう考える選手が増えているのは、むしろ自然なことなのかもしれない。しかし、「ただ安定を求めるだけでは、第2の人生やセカンドキャリアで成功することも覚束ないでしょう」と、小野氏はこう若手選手たちに忠告する。
「どんな仕事をするにしても、苦労や勉強、痛い目や辛い思いはつきものです。そういうときにこそ、野球で味わった苦しさや悔しさが生きる。だからこそ、若い選手たちには、まだ球団に契約してもらえるうちに、野球に目一杯打ち込んでほしい。
今回のアンケート結果で会社員を望む声が一番多かったのは、将来に漠然とした不安を抱いている若い人が多かったからでしょう。私もそうでしたが、フェニックス・リーグやウインター・リーグに行かされる若手はまだ先が見えない中でもがいていますから。来年一軍で出場するチャンスが増えたり、レギュラーになれる可能性が見えたりすれば、また考え方も変わってくると思いますよ」
来年のプロ野球では、そんな下積みを経験した若手がひとりでも多くブレークすることを望む。FA選手、スーパールーキー、大物外国人ばかりでなく。
◎参考資料
日刊スポーツ2018年12月13日付「プロ野球選手も安定志向?引退後会社員希望初の1位」
朝日新聞2018年12月14日付「プロ野球選手、引退後は現実路線?会社員希望が初の1位」
日刊スポーツ2018年1月19、26日付「引退後の世界・元阪神投手から公認会計士に/奥村武博氏1、2」
デイリースポーツ2017年12月27日付「西武・大崎、野球界に未練なし コンサル会社で持ち味生かす」
書籍『プロ野球「第二の人生」輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』講談社、赤坂英一著、2015年5月27日発行
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