2024年7月16日(火)

赤坂英一の野球丸

2018年11月28日

 今年も新人がプロの門戸をたたき、スターが巨額の報酬を得て球団の間をFA移籍する一方、多くの選手が弾き出されるようにしてユニフォームを脱いだ。とくに、原辰徳監督が3度目の復帰を果たした巨人で〝血の入れ替え〟が目立つ。その中で私の印象に残ったのが、かつて短い間ながらも巨人で活躍し、熱烈で根強いファンの支持を得た矢野謙次、脇谷亮太、寺内崇幸の引退である。

(key05/Gettyimages)

 矢野はいわゆる松坂世代の38歳で、2002年秋のドラフト6位で國學院大から巨人に入団。原監督が2度目の監督に就任した06年に勝負強い打撃でブレークし、「矢野謙次、気合の戦士」で始まる応援歌は「巨人で一番カッコイイ」とファンの間でも大変な評判を取っている。「あのテーマ曲の裏側にはちょっとした裏話があるんですよ」と、巨人関係者がこんな話を教えてくれた。

 「あの曲、実は、謙次の知り合いのミュージシャンが作曲したものなんだそうです。最初のテーマ曲がいまひとつだと思ったようで、わざわざプロに〝新曲〟を依頼し、そのCDを自分で私設応援団の人たちの元に届けて、ぜひこれを演奏してください、と頭を下げたと聞きました。そういう意味でも、ファンとの距離がすごく近い選手でしたね」

 そんな人柄だからこそだろう、15年のシーズン途中に日本ハムへ移籍、札幌ドームのお立ち台で「ファイターズ最高!」と叫ぶようになってからも、相変わらず巨人ファンに愛され続けた。9月28日のイースタン・リーグ巨人-日本ハム戦、代打で〝二軍最後の打席〟に立つと、最盛期を彷彿とさせる見事な3点本塁打。試合後に両チームのナインに胴上げされ、最後までグラウンドに残り、スタンドから声をかけるファンと会話を交わしていたところがまた矢野らしい。

 さらにそのあと、巨人で二軍の本塁打王となった和田恋をつかまえ、約20分もマンツーマンで打撃指導。私が感心していると、こう言って舌を出した。

「そのうち、ここ(巨人)へ帰ってきたいな。…なんてね、書いちゃダメですよ」

 こういう人間なら将来いい指導者になれるだろうなと思っていたら、来年は日本ハムの「特命コーチ」として米大リーグのテキサス・レンジャースで研修を受けるという。どんな熱血コーチになるか、いまから楽しみだ。

 脇谷は矢野より1歳年下の37歳だが、非常に苦労の多い野球人生を送っている。05年秋にドラフト5位でNTT西日本から入団し、09年にやっと二塁のレギュラーを掴みながら、11年に阪神戦の〝落球誤審騒動〟(フライを落としながら直接捕球したと審判にアピールしてアウトと判定された)で〝ずるいやつ〟というレッテルを貼られてしまった。

 しかも、同じ年に右手首有鉤骨骨折、右肘靱帯損傷と相次いでケガに見舞われ、今季の大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)と同じ靱帯再建手術を受ける。復帰に1年を要するため、その年のシーズンオフに戦力外となり、背番号3ケタの育成選手として再スタート。一時は酒に走り、心が折れそうになったこともあるが、懸命にリハビリを重ねた1年後の12年、ジャイアンツ球場でのイースタン・楽天戦で復帰した。結果は代打で四球。ようやくここまでたどり着いた感想を尋ねると、脇谷はこう答えた。

 「速かったです。打席で見るプロの球はこんなに速いのかと思いました」

 相手投手は戦力外通告寸前で、球速も140㎞に達していない。それでも脇谷は、真顔で言った。

 「相手も必死なんです。(人生の)勝負がかかった球は速く感じるものですよ」

 翌13年、努力の甲斐あって支配下に復帰し、8番・セカンドで開幕戦にスタメン出場。東京ドームで脇谷の名前がアナウンスされたとき、スタンドから沸き起こったファンの大歓声は、いまも私の耳の奥に残っている。

 ところが、それからたった1年後の14年、脇谷は巨人にFA移籍した片岡治大(現二軍内野守備走塁コーチ)の人的補償で突如西武へ移籍させられてしまう。それでも腐ることなく、ユーティリティープレーヤーとして2年間活躍。16年には自分がFA宣言して巨人に復帰したのだから、そのしぶとさには恐れ入りましたと言うほかない。

 ただ、脇谷本人はこう言って笑った。

「ケガをして育成選手だったときに、ぼくは多くのことを学びました。人間、簡単に腐っちゃいけない、諦めちゃいけないんです」

 そう語った脇谷の現役最後の打席はやはり二軍。今年10月6日、宮崎で行われた阪神とのファーム日本選手権で、結果は一塁ゴロだった。

 片岡の加入で割を食ったと言えば、寺内もそうである。矢野より3歳、脇谷よりも2歳年下の彼もまたドラフトは下位指名で、06年秋の6位でJR東日本から巨人入り。5年間は一軍と二軍を行ったり来たりしていたが、6年目の12年に一軍に定着を果たした。

 そして、13年には脇谷とのポジション争いに競り勝って二塁のレギュラーにまで成長。CS(クライマックスシリーズ)で広島・前田健太(現ロサンゼルス・ドジャース)から3点本塁打、日本シリーズで楽天・田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)からソロ本塁打を放つなど、目覚ましい活躍を見せた。


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