強気がアダに
クリントン大統領は、疑惑が公になった後も強気の姿勢を崩さず、否定を続けた。だまっていればいいものを、ヒラリー夫人など「右翼の陰謀だ」などとタンカを切って、後になってひんしゅくを買った。
この間、特別検察官の捜査が進められ、大統領もついに抗しきれず、2018年8月、連邦大陪審で供述を求められた際、ついに事実関係を認めた下院が弾劾訴追を決定したのはその年の12月だった。
合衆国憲法2条では、「大統領、副大統領及び合衆国のすべての文官は、反逆罪、収賄罪・・につき弾劾され、有罪判決を受けた場合は、その職を免ぜられる」と規定されている。
クリントン氏の場合は、宣誓供述でうそをついたこと、実習生にウソの供述を示唆したことが証拠隠滅と認定され、弾劾訴追の理由とされた。
クリントン疑惑を論じるとき、妻以外の女性と不倫関係を持ったことで訴追されたと考えている人が少なくないようだが、誤った見方だ。不倫関係も決してほめられたことではないが、それだけでは、弾劾訴追の訴因などなり得ない。司法妨害という深刻な問題が訴因だった。
「有罪、でも弾劾には反対」
舞台は上院での弾劾〝法廷〟に移る。弾劾は下院が過半数で訴追を決定、上院での裁判で3分の2の議員が〝有罪〟を投じれば、大統領は職を失う。
2019年1月に始まった裁判の冒頭の様子はすでに触れたが、翌2月12日の評決は「無罪」。2項目あった訴因について、「有罪」はいずれも半数にも満たず、野党共和党からも反対票が投じられて、とりあえずクリントン氏の〝勝利〟という結果に終わった。
大統領は本当に無罪だったのか。
判決当時、民主党の長老、ロバート・バード上院議員の発言が示唆に富んでいる。「大統領が偽証したことは事実だと思う。しかし、米国民の団結のために弾劾にはあえて反対する」-。有罪だけど、免職は」すべきではないー。院内総務を経験した大物議員の言葉は重みを持つ。
多民族、多様な社会ゆえさまざまな問題を内包する米国が、国家、国民の結束を維持するには、国民統合の象徴としての天皇をいただき、総理大臣を中心に強固な団結を誇る同質社会の日本などとは違う困難さがあろう。そうした脆いモザイク国家において、きわめて政治色の強い弾劾という形で大統領を引きずり降ろすことになれば、国民の間の対立が激化、結束は崩れてしまっただろう。
私見ではあるが、クリントン氏が弾劾を免れたもう」ひとつの理由は、裁判を担った上院議員、国民の間に、大統領職の行為は職を免ぜられるほどの犯罪だったのかーという疑問ではなかったか。
「偽証」は、司法制度の根幹を揺るがす重罪であり、日本でも重罰が科せられる。大統領の地位にある者が、そういう罪を犯したのだから、それ自体は弾劾に値する行為ではあったろう。
とはいうものの、クリントン氏の場合、その動機は不倫隠しという次元の低い、ひとえにきわめて個人的な動機によるものだった。国の安全保障を脅かすなどというほどの問題では全くなかった。
やはり大統領弾劾の寸前まで至った1970年代のウォーター・ゲート事件と比べてみよう。米国における20世紀最大の政治スキャンダルともいうべきこの事件では、再選をめざす共和党の現職大統領陣営のスタッフが、民主党本部に忍び込み、盗聴器を仕掛けようとした。ホワイトハウスがもみ消し工作に関わった疑いが強まり、ニクソン大統領は下院での訴追が決まった1974年8月に辞職。弾劾裁判が行われることはなかったが、選挙の公正を犯し、民主主義の根幹を揺るがす事件だった。
これと比べた場合、クリントン事件の矮小性はよく理解できる。裁判に関わった議員、国民は大統領を職にとどめることを選んだ。
クリントン氏の不倫スキャンダルは、無罪評決という形で収束をみたが、ケネディ大統領時代からささやかれていた有名政治家の女性関係が、噂にとどまらず事実であることが明らかにされ、国民に与えた衝撃は少なくなかった。権力を持つ者、強い者に対する女性の警戒心を引き起こし、今日、米国はじめ全世界に燎原のように広がっている「#Me Too」運動の遠因になったようにも思える。